2023.08.06
長時間労働を甘くみるべからず。過重労働はどのように心を蝕んでいくのか? 【働く人のこころ処方箋】
令和2年労働安全衛生調査(実態調査)によると、過去1年間にメンタルヘルス不調を理由に連続して1ヵ月以上休業した労働者又は退職した労働者がいた事業所割合は、平均で9.2%でした。うつ病などのメンタル不調は、現代では誰にでも起こりうる身近な病です。
本連載『働く人のこころ処方箋』では、産業医・精神科医・健診医として活躍している井上智介先生に、心の健康を保つ秘訣を教えていただきます。
©️ikue takizawa
長時間労働によって失うものとは
あなたは、“過労死”という言葉を聞いたことがありますか。どのようなイメージを持っているでしょう。自分とはまったく縁のない話だと思う人もいれば、意外と身近に感じている人もいるかもしれませんね。そもそも、働きすぎることが、なぜ心も体も致命的な状況に追い込んでしまうのでしょうか。
たとえば、産業医が従業員から「毎月のように残業時間が80時間あります」と報告をうけたとき、明らかに減っているものに注目します。それは“睡眠時間”です。残業をすればするほど、睡眠時間が短くなるので、毎日どれくらい寝れているのかを確認します。睡眠時間が短いなかで働きつづけると、当然、十分に疲れもとれないまま翌日を迎えて、また朝からハードに働くことの連続になるため、体に良くないことなのは明らかです。
負の悪循環に陥ってしまう
もう少し詳しくお話しすると、働く時間が長いということは、1日のなかでも交感神経が優位に働いている時間が長くなるということです。交換神経とは、車でいうところのアクセルの役割であり、体が活発に動くように全身の血管を収縮させて血圧や心拍数を上げてくれます。ただ、1日のなかでそのような時間が長いのは、それだけ血管に負担がかかり動脈硬化を進め、脳卒中や心筋梗塞などの致死的な疾患に近づきます。
さらに、残業が多いという状況は、それだけやるべき業務を抱え込んでいるだけでなく、納期に追われるなどの心理的プレッシャーや緊張感の高い状況が続いているということです。そのうえで、睡眠などの心を休ませる時間やストレス解消する時間が物理的に少ないため、精神疾患にまで至ってしまうことも十分にありえるのです。
あなたを大切に思っている人の言葉を受け止めよう
もちろん、このような危機的な状況にならないように働き方を変えることが大切ですが、それ以前に「弱音を吐いてはいけない」「周りに迷惑をかけられない」という考えに縛られて、自分だけで辛さを抱え込むことは避けなければいけません。
仕事の場面で「業務判断に時間がかかるようになった」「書類を読むのに時間がかかるようになった」「パソコン業務の集中が続かなくなった」などの変化があるようなら、すでに脳がオーバーヒートしている状態です。
また、身近な人から「最近、“疲れた”が口癖になってるよ」「好きなテレビや動画を見なくなったね」「イライラしやすくなっているじゃない?」と、言われることはありませんか。仕事を頑張っている時には「そんなことない!」と反発もしたくなるでしょう。でもそれはあなたを大切に思っている人からのサインです。貴重な意見だと素直に受け止めて、ぜひ働き方を見直すきっかけにしてみてください。
このように、身近な人からのひとことは、このままでは本当に危険で、今すぐにでも改善しなければいけない状況だと気づくきっかけになります。
自分の心のSOSに気がついたら
もちろん、会社の取り組みだけで世の中の過労死がなくなることが理想です。しかし、現状は、それだけでは改善が難しいこともあるため、個人でも予防の意識をもつことが大切です。仕事に追われて忙しい時こそ「関わる人の全ては満たせない」という当たり前のルールを忘れてしまいがちなのです。
自分自身がマズい状況だと気がついたら、周りに頼ってみたり、SOSを出したりして、ひとりで抱え込まないで。積極的に手抜きも息抜きもいれて、心も体も休ませることを優先させましょう。
記事情報
引用・参考文献
著者プロフィール
井上智介(いのうえ・ともすけ)
産業医・精神科医・健診医。
兵庫県出身。島根大学を卒業後、大阪を中心に精神科医・産業医として活動中。産業医としては毎月30社以上を訪問し、一般的な労働の安全衛生の指導に加えて、社内の人間関係のトラブルやハラスメントなどで苦しむ従業員にカウンセリング要素を取り入れた対話重視の精神的なケアを行う。精神科医としてはうつ病、発達障害、適応障害などの疾患の治療だけではなく、自殺に至る心理、災害や家庭、犯罪などのトラウマケアにも注力。SNSや講演会などでも「ラフな人生をめざすこと」を積極的に発信中。主な著書に『職場の「しんどい」がスーッと消え去る大全』(大和出版)等がある。
制作
文:井上智介
写真:滝沢育絵