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2021.09.03

八十の三つ子:年取って子どもに還ったら何しよう?【健康ことわざ#21】

日本ことわざ文化学会:渡辺 慎介

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八十の三つ子:近松半二「浄瑠璃 三日太平記」(1767年)など。

意味:年をとると三つ子、三歳の子どもに戻ってしまうということ。

解説

年とともに無邪気になったり、聞き分けがなくなったりする様から、子どもに還ると詠んでいます。同じ「三つ子」のことわざに「三つ子の魂百まで」があり、子供の頃の性格や性分は生涯変わることはない、と述べています。

一方の「八十の三つ子」は、老人になるとその振る舞いが子どもに還ると言っているのです。「八十」ではなく「七十」「六十」の表現もありますが、どれも老人の意味です。
 
年齢を詠み込んだことわざは少なくありません。有名なものに「四十にして迷わず」があります。40歳にもなれば、迷いもなくなり、その人らしさが強く出てくるということなのでしょうが、それは頑固や傲慢にもつながる危険がありそうです。

「青春は迷いの季節だ」は、迷い続ける青年の姿を肯定的に述べています。40歳になっても相も変わらず迷い続けるのは頂けませんが、いくつになっても迷いがあるのは人として当然のことでしょう。

若さの秘訣は?

それでは、年をとったら何をすればよいのでしょうか。そのひとつに、「八十の手習い」が挙げられます。これにも「八十」だけでなく、「六十」や「七十」の言い回しもあります。

これを説明するかのごとき俳諧に「上きこんにもするは手習、六十になれどこころは若やぎて」があります。「上機根」は、すぐれた素質・能力、根気のよいことなどの意味です。根気よくするのは手習い、60歳になっても心は若やぐ、との内容です。「こころは若やぎて」がいいですね。手習いをはじめて、若者に還った心持ちになり、それを喜ぶ情景が目に浮かびます。

老人の頑固や傲慢とは対極をなす心の持ちように思えます。江戸時代の手習いは、字を覚えるなど狭い範囲の学びに限られていました。それでも「こころ若やぎて」と喜びを表しています。今の世の中は、学びの種類も範囲も桁違いに広くなっています。しかも、生涯学習などというプログラムまでも用意されています。
 
心の持ちようは健康にも影響します。いくつになっても若者のしなやかな心を持ち、健康であり続けたいものです。それを可能にする生き方の一つが、「八十の手習い」、何かを学ぶ意気込みなのでしょう。

執筆者プロフィール

■渡辺 慎介(わたなべ・しんすけ)
日本ことわざ文化学会会長 横浜国立大学名誉教授 物理学が専門であるが、定年後はことわざの面白さ、奥深さにのめり込んでいる 写真を趣味とするも、ことわざのため最近は写真から縁遠い

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