メニュー

2021.08.13

七年の餓死に遭うとも乱に遭うな:戦争だけには遭いたくない【健康ことわざ#20】

日本ことわざ文化学会:渡辺 慎介

記事画像

七年の餓死に遭うとも乱に遭うな: 菅野八郎著「八老独年代記」(1868年)など

意味:餓死するような悲惨な状態に何度あっても、戦争よりはましだ。

解説

「三度の飢餓に遭うとも一度の戦に遭うな」との言い換えも伝わっています。こうした内容のことわざは極めて珍しいものです。いわば反戦思想のことわざです。

ことわざには、三度とか七度の表現がしばしば見られます。これは、実際の回数を言うのではなく、度々とか何度も、を意味する言い回しです。たとえば、「仏の顔も三度」や、「七転び八起き」があり、それらは「仏のように温厚な人でも度重なる仕打ちには我慢できない」、「何度失敗してもめげずに頑張る」の意味です。したがって「三度の飢餓」も「七年の餓死」も、度々飢餓、の意味になります。
 
今の時代、日本において飢餓は現実味のある言葉ではありません。我々は飽食の時代に生きています。しかし、貧困による飢えが少なからず存在することは、つねに指摘されています。どの地域にも子ども食堂があり、少なくない子どもたちがその恩恵に与っています。格差社会がもたらす飢餓です。
 
私たちが健康な生活を楽しめるのも、あるいは多少の病を抱えながらも平穏な生活を送ることができるのも、平和であるからこそ得られるものです。

戦場で人を殺し、殺される、爆撃やロケット砲の攻撃に昼も夜も怯える、そんな生活を今の日本で想像することはできません。しかし世界には、そうした状況にある国や地域が現に存在し、そこには戦争に苦しむ人々がいます。自国第一主義を叫ぶ指導者が増え、国家間の争いの火種は尽きません。

そんな中にいるからこそ、江戸時代のことわざに耳を傾け、平和を求める声を絶やさないよう行動しなければならないのでしょう。

江戸時代は平和な時代だった

ことわざは、庶民の担う文化、文芸が発達した江戸時代に作られたものが多いのですが、戦いに関することわざは多くありません。せいぜい「喧嘩」とか「いさかい」を含むことわざ、「喧嘩両成敗」、「子供の喧嘩に親が出る」などがある程度です。

それは、その時代が平和であったのが、理由になりそうです。そんな中でも「腹が減っては戦(いくさ)ができぬ」のことわざがあります。このことわざを使い、表記のことわざをやさしく言いかえると、「腹が減っても戦はするな」となるのかもしれません。

8月は平和を考える機会の多い月です。平和を追い求めるもっともっとやさしいことわざが作られることを期待したいものです。

執筆者プロフィール

■渡辺 慎介(わたなべ・しんすけ)
日本ことわざ文化学会会長 横浜国立大学名誉教授 物理学が専門であるが、定年後はことわざの面白さ、奥深さにのめり込んでいる 写真を趣味とするも、ことわざのため最近は写真から縁遠い

この記事に関連するキーワード