メニュー

2021.08.06

旅は道連れ世は情け:旅の同伴者も、周囲の心配りもありがたい【健康ことわざ#19】

日本ことわざ文化学会:渡辺 慎介

記事画像

旅は道連れ世は情け:狂言「薩摩守」(室町末期)など。

意味:旅は同行者がいると安心、世渡りは互いに思いやる心が大切である。

解説

旅は普段の生活を離れ、非日常を楽しむ行為です。今では、新幹線や飛行機など高速の輸送手段がありますから、旅に伴う苦労はなく、ただ楽しむだけのものです。

しかし江戸時代の旅は基本的には徒歩ですから、その苦労は計り知れません。さらに道中には、盗賊、追いはぎが出没するとなれば、旅の不安はなお一層募ります。旅は命がけだったのです。

そんな時に、道連れがいてくれればどんなにか安心できたでしょう。このことわざには、旅の不安への実感がこもっています。「旅は憂いもの辛いもの」のことわざは、江戸時代の旅の実態を述べています。

一方で、「旅の恥はかき捨て」のことわざは、少しばかり明るい雰囲気を持っています。その意味は、(1)旅先で恥をかくようなことをしても、知り合いもいないのでその場限りですんでしまう、(2)旅先で、ふだんやらないような恥さらしを平気でやってしまう、の二つがあります。

現代では、後者の解釈が主流のようです。さらには、旅先では何をやっても許される、と誤解しているようです。

苦労の多い旅だからこそ

「かわいい子には旅」のことわざは、子どもを愛しているのならば、目先の情愛にとらわれることなく、厳しく鍛えよ、の意味です。必ずしも旅をさせよ、と言っているのではなく、旅の苦労をさせるくらいに厳しく鍛えよ、との教えです。

さらに、「門松は冥土の旅の一里塚」のことわざも残されています。門松を立てるごとに年齢を重ねることから、それは死出の旅の一里塚である、と述べているのです。言い出しにくいことをズバリと表現しています。

このように見てきますと、江戸の人は旅を随分と真面目に取り上げていることに気付きます。現代の行楽とは趣を異にしています。「旅の恥はかき捨て」にしても、たとえば東海道中膝栗毛では、上に述べた(1)の意味で使われていることが多く、決して旅に出れば何をしても許されるとは理解していないようです。

8月は旅行のシーズンです。外出をするのが難しい時期ではありますが、楽しい旅でたまったストレスを解放したいものですね。

執筆者プロフィール

■渡辺 慎介(わたなべ・しんすけ)
日本ことわざ文化学会会長 横浜国立大学名誉教授 物理学が専門であるが、定年後はことわざの面白さ、奥深さにのめり込んでいる 写真を趣味とするも、ことわざのため最近は写真から縁遠い

この記事に関連するキーワード