メニュー

2020.11.20

いつも月夜に米の飯:憧れの米を好きなだけ食べられたら幸せか?【健康ことわざ#2】

渡辺慎介

イラスト:今井ヨージ

イラスト:今井ヨージ

『いつも月夜に米の飯』  河合乙州著「それぞれ草」(1715年)に収録。その他多数。

意味:常々そのようにありたいと願っていること。あるいは、いつまでも続いて飽きることがないこと。

解説

日本人の主食は米です。今でこそ、米や白米を好きなだけ食べることができますが、それが可能になったのは、第二次世界大戦の後になってからです。まして、このことわざが詠まれた江戸時代の前期、中期には、白米への願望がどれほど強かったかは測り知れません。たとえ中秋の名月でも、雲に隠れて見えないこともあります。だからこそ、月明かりに照らされる夜を楽しみ、米の飯が食べられるのは、ありがたく、飽きることはないのです。

ところが、江戸も後期になると、三都(江戸、京、大阪)では、庶民も白米を食べていた記録が残されています。その頃、「江戸患い」という病気がはやりました。江戸勤務を命ぜられた地方の大名、武士が江戸の生活を送るうちに、足がむくみ、あるいはしびれて、足元がおぼつかなくなり、倦怠感から寝込んでしまう病気です。

江戸に職と食を求めて集まる地方の庶民も同じ病気にかかりました。ところが、江戸勤務を終え、地元に戻るとケロリと治ってしまうのです。この病が解明されたのは明治の終わりの頃。今で言う「脚気」、つまりビタミンB1の不足が原因でした。白米は玄米を精白します。精白の際に、玄米の表面や胚芽に含まれる栄養成分がそぎ落とされてしまい、自然とビタミン不足の食生活が続くことで江戸患いになるという訳です。そのため、また地方に戻れば栄養バランスのよい玄米や雑穀を中心に食べるので、すぐに脚気は治ってしまう。そんな因果関係があったのです。

ビタミン、ミネラル不足にご注意

江戸の食事は一汁一菜が基本であったといいます。白米に汁物と漬物程度の食事だったようです。一日に四合から五合の白米を食べる割に、副菜が少なかったため「江戸患い」になったと考えられます。今の食事は、一汁三菜といわれるように白米に数種類の副菜を添えているため、江戸患いの心配はありません。

それでも、高カロリー、高塩分の上にビタミンやミネラルに欠け、食欲を刺激する味付けをした調理済食品が少なくありません。そうした食品を食べ続ければ、現代でも江戸患いの危険は高まります。「いつも月夜に米の飯」のことわざに隠された病気の歴史を忘れないように食生活を整えていきたいものです。

執筆者プロフィール

■渡辺 慎介(わたなべ・しんすけ)
日本ことわざ文化学会会長 横浜国立大学名誉教授
物理学が専門であるが、定年後はことわざの面白さ、奥深さにのめり込んでいる。写真を趣味とするも、ことわざのため最近は写真から縁遠い

この記事に関連するキーワード