メニュー

2022.05.20

笑いと遊び【笑トピ・#14】

明治大学名誉教授・日本笑い学会:山口政信

西洋から移入されたことわざの一つに「よく学びよく遊べ」があります。”よく遊べよく遊べ”だった子どもの頃を思い出すと、せめて「よく遊びよく学べ」で過ごしていたなら…、と先立たぬ後悔をしたこともあります。

このように言うものの、遊び惚けていたのは小学生時代までで、中学生以降はクラブ活動がそれに取って代わり、遊ぶどころではありませんでした。今は、それも又よし政信君、と過ぎ去ったことは概ね肯定する齢となりました。

さて、冒頭のことわざを時田昌瑞著『岩波ことわざ辞典』で引いてみると、明治時代の『高等国語教科書』との記載に続き、「西洋の諺に『よく遊びよく勤めよ』といふことあり」と記されています。いつの頃に逆転したのかは分かりませんが、少なくとも小学生時代までは遊びを優先した快活な6年間であってほしいと念じるのは私だけではないはずです。

なぜかと言うと、この時期の自由で闊達な過ごし方が、その後の発想や言動に大きく貢献すると思うからです。

その遊びと言えば、『梁塵秘抄(※1)』の「遊びをせんとや生まれけむ 戯れ(たわぶれ)せんとや生まれけむ …」という文句が思い出されます。この詩が遊女の謡う「今様」と呼ばれる流行歌詞であること、また遊び・戯れというキーワードには2重の意味があると知った時、編者である後白河天皇に大いなる親近感を覚えたものでした。

この今様に見る遊びと戯れをつないだ熟語が「遊戯」です。広辞苑には「(1)遊び楽しむこと。ゆうぎ。(2)楽しく思うこと。よろこぶこと。(3)心にまかせて自在にふるまうこと。」とあります。この3番目の解説には〔仏〕と記されていることから、仏教に由来する言葉であることが分かります。

この場合は「ゆげ」と読み、煩悩の束縛から解放され何事も思うがままになし得る能力のことで、菩薩さまに備わった才智であるとされています。

(※1:梁塵秘抄(りょうじんひしょう)は平安時代末期に後白河天皇により編まれた歌謡集のこと)

何事においても全ては「遊び心」から生まれる

このような文言からは、しょせん人間には無理な話、と思われるかもしれませんが、実は誰もが経験していることだと考えています。それは、夢中になることです。

論語には「努力は夢中に勝てない」という言葉があると聞きます。多分に比喩的な文言ですが、走る哲学者と呼ばれる400mハードルの名選手、為末大さんはこの文句を援用して持論を展開するほどに、夢中には莫大で持続的なエネルギーが凝縮されているのです。

では、夢中とはどのような状況をいうのでしょう。冒頭の「遊び惚ける」が端的な事例で、無我夢中というように我を忘れ、時を忘れて没頭する様だと考えます。研究やスポーツは言うまでもなく、園芸や手芸、絵画や陶芸、音楽や料理など、あらゆる人の夢中には、笑いに包括される遊び心が下敷きになっています。

もちろん何事にも苦労は付き物ですが、それをいとわぬ遊び心が夢中を生み、長続きする原動力になっているのだと思います。

自動車のハンドル、アクセル、ブレーキには遊びがあります。それを持たせたのは、ほかならぬ人間です。その人間が遊びの心を忘れては本末転倒です。身辺の好きなことにチョッピリ惚けてみるのも悪い話ではなさそうです。

***

笑トピは本記事で最終回となります。14回に渡りご愛読ありがとうございました。

著者プロフィール

■山口 政信(やまぐち・まさのぶ)
明治大学名誉教授
1946年生まれ。東京教育大学体育学部卒業・東京学芸大学大学院教育学研究科修了。日本笑い学会理事、日本ことわざ文化学会理事(事務局長)、スポーツ言語学会初代会長。全国中学校放送陸上競技大会80mハードル優勝(中学新)、日本陸上競技選手権大会/メキシコ五輪最終選考会400mハードル6位、フルマラソン完走121回。「創作ことわざ」に「わざ言語」の機能を見出し、体育・スポーツ教育を実践。学生には「体育を国語でやる先生」と呼ばれる。明治大学リバティアカデミーに「笑い笑われまた笑う」を開講し、笑ってもらうことをモットーとした。主著に『スポーツに言葉を』(単著)があるほか、『陸上競技(トラック)』・『笑いと創造第四集』(以上共著)、『笑いとことわざ』(共編著)、『世界ことわざ比較辞典』(共監修)など多数。

この記事に関連するキーワード