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2022.03.25

笑いと口福【笑トピ・#10】

明治大学名誉教授・日本笑い学会:山口政信

口薬(くちぐすり)とは火縄銃の火ぶたに用いる火薬のことで、これが転じて口に効能のある薬、口止め料・賄賂を意味するようになったことを知りました。ふとその時、食事の支度をする母親の傍で「腹へった」とぐずぐず言う私に、「ほれ、口に詰めしとこ(しておこう)」と言って、何かをつまんで口に入れてくれた情景が蘇ってきました。

さて、日本のことわざに「すきっ腹にまずい物なし」があります。私たちには耳が痛い句ですが、これに類するものは世界各地に見られます。「最上のソースは空腹である」(ソクラテス)、「この世に空腹ほどすぐれたソースはない」(セルバンテス)がその代表格です。 
一般的に美味しいものを食べると幸せを感じ、幸せな時には美味しく食べられます。しかし、美味しいものを食べるのと、美味しく食べるのではニュアンスが異なります。前者は食物を対象としているのに対し、後者は食事をする人が主体になっています。

どのような事象も、体調や状況で感じ方が変わる

食事に関する生体反応は、ミクロ経済学の「限界効用逓減の法則」に譬えることができます。いかに美味しい料理であっても、お腹が満たされるにつれてその意味が薄れ、限界を越えると気持ちが悪くなってしまうという、万人に共通する法則です。
もちろん空腹にも程があり、低血糖になるのは避けねばなりませんが、お腹を空かせることで胃を休めることができ、美味しく食べられ、幸福感を味わえる、という訳ですから《一石三鳥》です。このように考えてくると、食べることによる幸福感の源は、食べる物よりも食べる人にある、と言えそうです。

美味しいことと幸福であることの間には、密接な関係があることから派生して、幸せと感じる人が作った料理はさらに美味しくなるはずだ、と思うようになりました。この関係を見事に表現した言葉に「口福」があります。これは造語ですが、朝日新聞の連載記事に踊っていたタイトルとして知った時、ウマイ、と感心したものです。そしてすぐさま創ったことわざが《空腹は口福の母》でした。

ところで、先ほどの口福論では人が先であり基本であると考えましたが、このようなどちらが先かという命題は、因果性のジレンマと呼ばれています。その代表格が「卵が先か鶏が先か」というものです。この論争は、遺伝学や生物学さらには統計学では卵が先と結論が出ているようですが、生化学では鶏が先だという説が有力なのだそうです。
では、笑いの世界においてはどちらが先なのでしょう。もちろん笑いの世界ですら意外性が潜んでいますが、この難問はいとも簡単に解かれています。だからこそ、謎ナゾはひらめいた時に目の前がパッと明るくなって笑えるのです。

寄席などで最後に演じる落語家を「トリ」と呼んでいることから、その結末(オチ)は、「卵が先でトリは後」となります。それでは、笑い過ぎて顎を外さないよう、口福が過ぎて顎やほっぺたを落とすことのないよう、幸せを噛みしめながらお過ごしくださいますように。

著者プロフィール

■山口 政信(やまぐち・まさのぶ)
明治大学名誉教授
1946年生まれ。東京教育大学体育学部卒業・東京学芸大学大学院教育学研究科修了。日本笑い学会理事、日本ことわざ文化学会理事(事務局長)、スポーツ言語学会初代会長。全国中学校放送陸上競技大会80mハードル優勝(中学新)、日本陸上競技選手権大会/メキシコ五輪最終選考会400mハードル6位、フルマラソン完走121回。「創作ことわざ」に「わざ言語」の機能を見出し、体育・スポーツ教育を実践。学生には「体育を国語でやる先生」と呼ばれる。明治大学リバティアカデミーに「笑い笑われまた笑う」を開講し、笑ってもらうことをモットーとした。主著に『スポーツに言葉を』(単著)があるほか、『陸上競技(トラック)』・『笑いと創造第四集』(以上共著)、『笑いとことわざ』(共編著)、『世界ことわざ比較辞典』(共監修)など多数。

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