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2022.04.22

笑いとユーモア【笑トピ・#12】

明治大学名誉教授・日本笑い学会:山口政信

ユーモア表現には「すかさず反応するのがマナー」というのが昨今の風潮です。

このような行き過ぎた同調圧力が増すのは、世間に生じている歪み反動かもしれません。もしこのような圧力に負担に感じる人がおられたなら、私はわたしである、と自分を肯定的に捉え、無理に笑おうとしない方が健康にはよいと思われます。

このように言うのも、笑いの基本は笑わないことにある、と見ているからです。

笑うことなく笑いを取る噺家の名人芸を思い起こせば、納得してもらえるものと思っています。実際、スポーツ・コミュニケーションが一役買っているようですが、笑いが苦手な人とも愉快な付き合いができています。そして今、そのご当人の笑顔がプレーの合間に見られるようになったことは、寛容と共生を志向する私たちには大いなる喜びとなっています。

人とのつながりが広がればユーモアの感覚も広がる

ところで世間では、笑いとユーモアはストレスとストレッサーと同じように、曖昧なままで使われてきたように思いませんか。

これまでの原稿ではそれなりに違いを意識してきましたが、この辺りでユーモアについてほんの少し掘り下げてみたいと思います。

ユーモアとは、人間の言動に見られるおかしみや滑稽などを意味しています。その源流にはドイツ語のフモールがあり、さらに遡ると液体を意味するラテン語に行き着くようです。近代になると、滑稽やおどけを意味する気質や気分として用いられるようになり、その精神性から人格といったニュアンスを含めて考えるようになっています。

ユーモアには情緒的で寛容的な性質があり、面白く気の利いたおかしみ、諧謔(諧と謔は共に戯れるという字義がある)などがこれに当たります。おどけ、上品なシャレ、滑稽といった人間の愚かさを、愛すべきものとして婉曲に表現するユーモアはウィットに近い存在ですが、攻撃的な風刺や鋭さで表現するエスプリとは一線を画す存在なのです。

それはそれとして、しばしば「ユーモアがある/ない」という言葉を耳にします。その有無とはユーモア感覚の程度のことで、その根底には日常の生活環境や本人の意識、語彙力が関わっていると見ています。

学生はしばしば「語彙力がなくて」と当座を繕いますが、ユーモアや笑いの環境に身を置くと意識が変わり語彙力も増えることから、付き合いの範囲を広げることを提案してきました。このように意識を少し変えるとユーモア感覚も身に付き、笑いも自然に生まれるようになって快活な生活が送れるようになります。

人とのつながりが広がれば言葉のつながりも広がります。この理はウォーキングやジョギングなどの有酸素運動を行うと、毛細血管が全身に発達するのと同じです。幹線道路に譬えられる動脈や静脈にトラブルが生じた時には、毛細血管がバイパスとなって脳や心臓の壊死を防ぎ、命を救ってくれます。

有酸素運動はさておき、ユーモアや笑いは人を育み、ストレスを解放してくれるエネルギーが宿っていますよ、ということをお伝えして今回のまとめにしたいと思います。

著者プロフィール

■山口 政信(やまぐち・まさのぶ)
明治大学名誉教授
1946年生まれ。東京教育大学体育学部卒業・東京学芸大学大学院教育学研究科修了。日本笑い学会理事、日本ことわざ文化学会理事(事務局長)、スポーツ言語学会初代会長。全国中学校放送陸上競技大会80mハードル優勝(中学新)、日本陸上競技選手権大会/メキシコ五輪最終選考会400mハードル6位、フルマラソン完走121回。「創作ことわざ」に「わざ言語」の機能を見出し、体育・スポーツ教育を実践。学生には「体育を国語でやる先生」と呼ばれる。明治大学リバティアカデミーに「笑い笑われまた笑う」を開講し、笑ってもらうことをモットーとした。主著に『スポーツに言葉を』(単著)があるほか、『陸上競技(トラック)』・『笑いと創造第四集』(以上共著)、『笑いとことわざ』(共編著)、『世界ことわざ比較辞典』(共監修)など多数。

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