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2021.11.26

健康すぎるのも考えもの?【笑トピ・#2】

明治大学名誉教授・日本笑い学会:山口政信

健幸体操と兼好法師

「健康はかけがえのない財産である」とは、いつの時代にも通用する古くて新しい言葉です。そこで改めておさらいをしてみました。健康の健にはすこやか・体が丈夫なこと、康にはやすらか・丈夫・たっしゃ・すこやか・楽しい、楽しむといった意味があります(『新漢語林』)。このように、漢字の意味から推し量ると、古くは身心と記していたことの意味が理解できたような気がします。

ところで近年、健康をもじった「健幸」という言葉を目にすることが多くなりました。たとえば「健幸体操」です。幸には、さいわい・さち、しあわせ・めぐりあわせのよいこと、理想の状態とあります。幸福の福もまたさいわい、しあわせ、天の助けといった意味があり、幸福は健康をも包み込んだ理想の二重奏と言えそうな熟語です。幸福はともかく、健幸というシャレた造語による体操は、楽しく身体を動かしながら皆で幸せになりましよう、という名実ともに万人の願いが込められた名前です。

経験を積んだからこそ、人の辛さを分かち合えることもある

笑顔と弾んだ空気が広がっている健幸体操ですが、身体を動かす目的や方法は様々です。生活習慣病の予防や老化防止のための運動、さらには身体機能を回復させるリハビリまでが範疇ではないかと思います。年齢的には中高年齢者がその主だった対象でしょう。なかには青年や壮年に見まがうような身体の持ち主もおられて羨ましい限りですが、時として鼻もちならぬ人に映ることがあります。

兼好法師は『徒然草』の中で、友だちになりたくない人の7番目に「病なく身強き人」を挙げています。一読しただけでそうだよねぇ、とうなずいた方もおられるかもしれません。病気とは縁がなく壮健である、というまさに理想と思われる人に問題があるとすれば、他者への配慮や思いやる心が希薄なことではないかと考えます。

このような意味から、兼好さんは独特の反語を用いて「無病息災」の人との付き合いは遠慮願いたいと語っているのです。この無病から派生したもじりに「一病息災」がありますが、身にさわりのないことと言う息災の意からすれば無理があります。しかし、一病を得たとしても、それを超越して息災を受け入れている人は数多くおられます。このような人には思いやりのある会話と、それにともなう笑顔が見られるものです。

著者プロフィール

■山口 政信(やまぐち・まさのぶ)
明治大学名誉教授
1946年生まれ。東京教育大学体育学部卒業・東京学芸大学大学院教育学研究科修了。日本笑い学会理事、日本ことわざ文化学会理事(事務局長)、スポーツ言語学会初代会長。全国中学校放送陸上競技大会80mハードル優勝(中学新)、日本陸上競技選手権大会/メキシコ五輪最終選考会400mハードル6位、フルマラソン完走121回。「創作ことわざ」に「わざ言語」の機能を見出し、体育・スポーツ教育を実践。学生には「体育を国語でやる先生」と呼ばれる。明治大学リバティアカデミーに「笑い笑われまた笑う」を開講し、笑ってもらうことをモットーとした。主著に『スポーツに言葉を』(単著)があるほか、『陸上競技(トラック)』・『笑いと創造第四集』(以上共著)、『笑いとことわざ』(共編著)、『世界ことわざ比較辞典』(共監修)など多数。

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