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2021.05.14

目には青葉山ほととぎす初鰹:初物に目がなかった江戸の庶民【健康ことわざ#13】

日本ことわざ文化学会:渡辺 慎介

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目には青葉山ほととぎす初鰹(はつがつお):俳諧集「江戸新道」に収録の山口素堂の俳句。(1678年)

意味:初夏の代表的な風景を愛でる言葉。

解説

この句は江戸前期の俳人・山口素堂(やまぐちそどう)の俳句です。今ではことわざ辞典にも収められています。季語の重なりを嫌う俳句の中で、この句は何と季語を三度も繰り返す型破りの句ですが、現代に至るまで長く、広く愛されています。

ホトトギスと青葉を読んだ和歌には、西行(さいぎょう)の「時鳥(ホトトギス)きく折りにこそ夏山の青葉は花におとらざりけれ」がすでにありました。素堂は、これに初鰹を加えたのです。

それでは、素堂の句はなぜ江戸庶民にもてはやされたのでしょうか。

それは初鰹が詠み込まれ、初物を好む江戸庶民の心意地に合致したからに他なりません。江戸時代、ことわざに「初物七十五日」とあるように、初物を食べれば寿命が75日も延びるとして、初物は珍重されました。

春は若菜、早蕨(さわらび)、初筍(はつたけのこ)。夏は初鰹、若鮎。秋は松茸。冬の新酒などなど。生命力に溢れる初物を口にすることで、健康が保たれると江戸庶民は信じていました。

初物の人気の筆頭は初鰹でしたが、法外な値段でした。宝井其角の俳句にも、「まな板に小判一枚初鰹」がある程です。盛期になれば安く食べられる鰹ですが、盛期まで待って食べるのは野暮と考え、初物にこだわったのです。初物は、彼らが大切にした粋にも通じました。

もっとも、程度をこえて粋を珍重する風潮には警句もありました。「粋(すい)が身を食う」のことわざです。粋人としてちやほやされることが、やがて身の破滅のもととなる、という警鐘です。

成れの果ては、川柳の「売家と唐様で書く三代目」です。金持ちの三代目が遊蕩三昧の末に散財し、自宅を売り払う羽目になっても、その売札が粋な道楽で覚えた当時はやりの中国風の書体で書かれていた様を、皮肉たっぷりに描いています。

圧倒的な人気の素堂の句

素堂の句が江戸庶民に親しまれた事実を川柳に見てみましょう。「目と耳はただだが、口は銭がいり」。青葉を見る、ホトトギスを聞く、これには金は不要。しかし、初鰹を食べるには金が必要、と言っています。

この川柳は、青葉、ホトトギス、初鰹を言い出さなくても意味が通じたのです。「聞いたかと問われ、食ったかと答える」、「女房は聞き、お妾は早く食い」の川柳もあります。説明は不要でしょう。素堂の句はそれほどまで知れ渡り、親しまれていたのです。今晩はカツオですね!

執筆者プロフィール

■渡辺 慎介(わたなべ・しんすけ)
日本ことわざ文化学会会長 横浜国立大学名誉教授 物理学が専門であるが、定年後はことわざの面白さ、奥深さにのめり込んでいる 写真を趣味とするも、ことわざのため最近は写真から縁遠い

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