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2020.10.21

「愛情ホルモン」が脳に与える無視できない影響|「小学校の先生の名前」を忘れない脳の不思議

東洋経済オンライン

「愛情ホルモン」の受容体の密度は、生後6カ月から1歳6カ月までの間に、親など特定の養育者との関係性によって決まるといわれています(写真:kokouu/iStock)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/382052?utm_source=deschl&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

「愛情ホルモン」の受容体の密度は、生後6カ月から1歳6カ月までの間に、親など特定の養育者との関係性によって決まるといわれています(写真:kokouu/iStock)

脳科学者で、テレビ番組のコメンテーターとしても活躍する中野信子氏と、ベストセラー著作を多く抱える行動経済学者の真壁昭夫氏が、共著『脳のアクセルとブレーキの取扱説明書』を出版しました。

「成功者」の脳のなかで起こる現象や行動のポイント、さらには子育て・外見・人間関係といった多くの人が抱える悩みに対し、脳科学と行動経済学の観点から対処法を示しています。

本稿では、同書から一部を抜粋しお届けします。

2020年の新型コロナウイルス禍では、緊急事態宣言が出され、経済活動は大きく制限され、人々は家から出ずに時間を過ごすことを余儀なくされました。これから、自分の生活がどうなるのか、社会はどう変化していくのかがわからず、将来への不安も募って、社会不安も増大しました。

東日本大震災のときもそうでしたが、SNSなどを通じて、「フェイクニュース」が拡散されて、不安はどんどん広がっていきます。また、SNSでの個人攻撃も社会不安の状況下で先鋭化している、といった報道もありました。

こうした不安と隣り合わせの時代に、私たちはどのように子どもたちと接するべきなのでしょうか。中野先生と考えてみました。

体も脳も育てる脳内物質と虐待の関係

真壁:人間の性格は生まれながらにして持っている先天的要素と、「育ち」といった後天的要素、この2つで決まるといわれています。

いまの世の中を見ていると、インターネットの発展に伴って情報が氾濫し、さらにこれらの情報を自らの意思で取捨選択できるような時代になりました。つまり、後天的要素のほうが性格形成に与える影響が大きいのだと思います。

さらにいえば、だからこそ教育は重要だし、その人がどんな人に出会い、どんな影響を受けたか、どんな教育環境で育ったかということが、その後の人生を左右するといっても過言ではないと思います。

教育環境で見ると、経済的にも精神的にも余裕がある家庭で育った子どもというのは、どちらかといえば欲求に対してブレーキがかかりやすく、理性が働きやすい傾向にあると思います。臨床実験の結果を見ていても、そうした傾向が明らかです。

また、先天的要素と後天的要素で考えるのであれば、アクセルを踏む力は本能的な部分であるため、人間は生まれながらにしてこの力を持っているのではないだろうかと思うのですが、ブレーキを踏んで欲求を抑えることについては、後天的に学んでいくものではないでしょうか。

欲求をブレーキで抑えることができれば、何かしらの対価が得られるという成功体験を幼少期に積み重ねると、本能でもある欲求に対してブレーキをかけることが比較的ストレスなくできるようになる、そういう傾向があるように思いますが、中野先生はどうお考えでしょうか?

中野:人間が幸せを感じているときに脳内で分泌される物質として近年、よく知られるようになってきたのは、「オキシトシン」です。改めて詳しく説明しましょう。

このオキシトシンは愛情ホルモンともいわれ、受け取り手である受容体の密度は、生後6カ月から1歳6カ月までの間に、親など特定の養育者との関係性によって決まるといわれています。

オキシトシンには、体の組織を成長させていくという極めて重要な働きもあって、臓器などを成長させていくことはもちろんですが、脳も体の一部ですから、オキシトシンの働きで脳自身も育ちます。

オキシトシンは愛情を感じることで分泌されるのですが、そのことが体や脳の発育と関連する可能性があります。一方、幼少期に虐待を受けるなど劣悪な環境下で育った場合、オキシトシン受容体の密度が極端に低かったり、逆に極端に過剰になってしまったりする場合があるのです。

真壁:例えばオキシトシン受容体の密度が低い場合は、どのような特徴が振る舞いに現れてくるのでしょうか?

中野:この人たちは、回避型と呼ばれるタイプです。文字どおり、人間同士の深い絆が作られるのを回避しようとします。人間関係における最初期段階での成功体験を持たないため、誰も信頼しないという方略を身に付けた、という解釈もできるでしょう。どのレベルで見るかの違いです。

そして、自分以外のほかの誰とも密な愛情関係を結ぶことをしません。誰とも愛情関係を結ぶことがないまま、幅広い相手と適当な関係を浅く結ぶようになります。

人間関係において、こうした人たちは、アクセルを踏み込むことはなく、ずっとブレーキをかけっぱなし、とでもいったイメージになるでしょうか。

危険な「条件付きの愛情」と「気まぐれな愛情」

中野:逆にオキシトシン受容体の密度が適切な範囲を超えて濃い場合もあります。このような例では、自分の望みよりも、目の前の相手を優先してしまうことがしばしばです。自らを犠牲にしてでも、相手の愛情が欲しいというような、いわゆる「愛情が重たい」タイプです。

こうしたパーソナリティは、あたかも生まれつき持っているかのように見られがちですが、赤ちゃんの頃から形成がスタートし、実は後天的に調整されていくものと考えるのが実態に近いでしょう。

このオキシトシン受容体の密度を適切な値にするためには、養育者との関係性が非常に大きく、愛情の関係をどう結んだかが重要になるのですが、必ずしも子どもとべったり一緒にいることが大切というわけでもありません。

大切なのは、子どもとどのようなコミュニケーションを取ったかです。最もよくないのが「条件付きの愛情」で、例えばその子が親にとって都合のいい子であるときは可愛がるけれど、駄々をこねたり、親自身が機嫌の悪いときなどは、愛情を返さない、などというものです。

これがさらに、親の気分次第で子どもへの接し方が変わる「気まぐれな愛情」になると、子どもはいつも親の顔色をうかがい、自分の気持ちを押し殺して親にへつらうようになります。

お母さんから注がれる愛情は快いものであり、発育に重要な物質でもあるので、オキシトシンはつねに欲しいものなのです。頻繁に抱っこをせがんだりするのも、この時期ならではでしょう。このとき親が気まぐれに愛情を注ぐと、どうすればオキシトシンを出せるのか、必死で工夫しようと、子どもの脳なりに頑張るのです。

たとえ仕事が忙しくて、いつも子どもと一緒にいることができなかったとしても、子どもとの間に条件付きでないきちんとした愛情関係が結ばれていれば、多少離れていたとしても、そう心配することはありません。

昨日のことを忘れ昔のことを覚えている記憶の不思議

中野:親(養育者)との絆には、もちろんオキシトシンによって築かれた愛着の構造もあるのですが、子どものときに作られた記憶も大切ですね。

例えば、小学校の初めの頃に習った先生のことはよく覚えているのに、大学のときの先生はあまり覚えていない、という現象が起こります。あるいは小学校の給食で出た揚げパンがおいしかったとか、そのようなことはよく覚えているのですが、昨日の朝、あるいはお昼に何を食べたかは覚えていない……人間の記憶とは不思議なものです。

実は、記憶は、1つのレイヤーから成るのではなく、何種類ものレイヤーから成るのです。例えば電話番号などは簡単に覚えることができるのですが、すぐに忘れてしまいます。これは「ワーキングメモリー」というものの働きなのです。

さらに、記憶力にも種類があります。「短期記憶」「中期記憶」「長期記憶」。その長期記憶も「陳述記憶」と「非陳述記憶」の2種類に分けられます。言語化できない記憶のことを非陳述記憶といって、「条件付け」や「慣れ」がそれに当たります。

非陳述記憶には、「手続き記憶」というものもあって、歩き方や自転車の乗り方、泳ぎ方などが代表的なものです。泳ぎ方を一から言葉で考えて、動きの要素を意識的に理解して遂行しようとしたら、おそらく溺れてしまうでしょう。

一方の陳述記憶は、言葉にできる記憶です。これは「意味記憶」と「エピソード記憶」に分けられます。

このような記憶ですが、大人になってから作られる記憶は「海馬」という脳の部位で形成され、脳内のいろいろな場所に貯蔵されます。例えば新しい言葉を覚えるとき、海馬が記憶として形作り、側頭葉のなかのデータの貯蔵庫に溜め込んでいくのです。


『脳のアクセルとブレーキの取扱説明書』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

そして、この大人になってから覚えたことは、頻繁に取り出さないと思い出しにくくなります。よって、大学の先生にお会いしても名前が思い出せない、顔は覚えているのだけれど、名前はうろ覚えだ、などということがしばしば起こるのです。このときの記憶は陳述記憶のなかの「意味記憶」ですが、これはそんなに強固なものではないのです。

これに比べて、長期記憶でも陳述記憶のなかにある「エピソード記憶」は、かなりよく保存されることがわかっています。自分の身に起こった出来事を覚えている記憶なので、「出来事記憶」とも呼ばれています。意味記憶とエピソード記憶は対になるような概念です。

小学校の先生の名前をよく覚えているのは、両親以外の大人に初めて密接に接したという経験に刺激されて形作られた記憶です。ゆえに「エピソード記憶」としてよく保存されるのでしょう。

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中野 信子,真壁 昭夫

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