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2020.09.01

仕事しかしない男が定年後に後悔しても遅い訳|先延ばしにできなくなった男性の働き方の議論

東洋経済オンライン

当たり前のように「働きすぎ」てきた現状を、見直すときがきているようです(写真:こうまる/PIXTA)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/372154?utm_source=deschl&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

当たり前のように「働きすぎ」てきた現状を、見直すときがきているようです(写真:こうまる/PIXTA)

コロナ禍で大きく劇的に変わった環境の変化にとまどい、生きづらさを感じている人が多い昨今。とくに男性は、「規律正しい労働者」として男社会の枠組みのなかで長年培ってきたノウハウが役立たない、「リモートワークでのマネジメント」「家事や育児へのかかわり方」など、どうしたらいいのかわからない不安を抱えています。

そんな不安を軽くするヒントを、男性学研究の精鋭、田中俊之先生がお伝えします。

コロナ禍の前から、働き方改革や女性活躍推進という流れのなかで「仕事と家庭の両立は女性だけではなく、男性も向き合うべき課題」として認識されるようになっていたように思います。

都市部では、通勤だけでも往復で2時間程度かかってしまうことを考えれば、働く場所と暮らす場所が一致する在宅勤務に、一部では期待が集まっていました。問題を解決する手段として、テレワークは注目されていたのです。


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新型コロナウイルスの感染拡大によってテレワークの普及は加速するように思えましたが、徐々に人々は職場へ向かうようになり、緊急事態宣言下でガラガラだった電車にも今、人は戻っています。当然のことながら、実際に現場に出向かなければならない仕事があることは理解できます。ですが、約2カ月間の在宅勤務でリモートでも十分に対応できる仕事があることもわかったはず。それなのになぜ、職場へ向かってしまうのか――。

安易に「日常」を「かつて」と「これから」にわけて、出社を前提とした「古い」働き方を否定したいわけではありません。ここで考えてみたいのは、「男性が男性であるがゆえに抱える悩みや葛藤を対象とした学問」である男性学の視点から、男性にとって働き方の見直しをめぐる議論がどのような意義を持つのか、についてです。

いつまでも「深刻な事態」にならない働きすぎ問題

1980年代後半に過労死が注目されて以降、中高年男性の「働きすぎ」はつねに社会問題として関心を集めてきました。指摘しておかなければならないのは、それから30年以上の年月が経過しているにもかかわらず、状況が改善しているとはいえないことについてです。

通常、問題の解決には、現状の把握、原因の分析、対策の実施という3つのステップが必要とされます。事態が深刻に捉えられていればいるほど、解決に向けた取り組みが真剣に行われると考えられます。

以前、あるホテルの従業員向けに講演をした際に、「みなさんのホテルでお湯が出ないトラブルがあったらどうしますか」と問いかけたことがあります。すると会場が急にザワザワとし、「そのことは今、思い出したくないな」という声まで聞こえてきました。理由をたずねると、実際にそうしたトラブルが起きたばかりでした。

お湯がでない現状に対して、すぐに原因が確かめられ、復旧に向けた作業が実施されたとのことでした。そこで間髪入れず、「では社内に、働きすぎの問題があったらどうしますか」と問いかけたところ、会場は静かになってしまいました……。

日本では、「男性は学校を卒業後はすぐに就職し、定年退職まで働き続けなければならない」という「常識」が根強くあります。加えて、男女の賃金格差も大きいことから、とりわけ中高年男性が長時間労働をするのはある意味で「当たり前」とされてしまいがちです。無職であることのほうがよほど問題視され、解決に向けた取り組みが真剣に行われる傾向すらあります。

つまり長年、議論されているようでありながら深刻な問題として理解されていないことこそが、いつまでも中高年男性の「働きすぎ」が解決しない根本的な原因なのです。

長時間労働の弊害は、過労死に象徴されるような健康問題だけではありません。男性を対象とした聞き取り調査を長年続けていますが、中高年男性には「趣味がない」「友達がいない」という二つの特徴があります。

ワークライフバランスの重要性が説かれるようになってから10年以上が経過しているにもかかわらず、働いてさえいれば後ろ指をさされることはないため、男性自身がこの状況を問題視するのは難しいといえるでしょう。

定年退職後にやってくる喪失感と虚無感の原因

仕事があるうちはやり過ごせても、つけは定年後に回ってきます。聞き取り調査の結果からは、40年間に渡って仕事中心の生活を送ってきた男性の多くが、何もすることがなくなってしまった日々の生活を喪失感と虚無感を抱きながら過ごしていることがわかっています。ある男性は定年後の生活について、次のように語ってくれました。

「私が定年になって一番最初に驚いたのは、住んでいる地域に一緒に酒を飲める相手が誰もいなかったことなんですよね。私は酒が好きなんですけど、だいたい仕事つながりの人たちと飲んでいたんですね。それで定年になってみたら、住んでいる地域で一緒に飲む相手が誰もいなかった。自宅っていうのは会社に帰るための一つの場所でしかなかったんです。会社に帰っていく場所が家だから、家の近くに仲間だとかそういうのは必要なかったというか……今になって思えば、心にゆとりがなかったっていうことなんでしょうけど」

この定年後の問題についても、すでに1990年代には指摘されていました。その後、2015年に出版された内館牧子の小説で、2018年に舘ひろしと黒木瞳が出演して映画化もされた『終わった人』でも、現役のうちは仕事ばかりしていた主人公が、定年後に一緒に過ごす友達も趣味もなく、ただ虚しく日々を過ごす様子がリアルに描かれていたものでした。

定年退職後の喪失感と虚無感は、働いてばかりいたことが原因であり、現役のうちに、趣味や友達を作っておけば回避できることは明らかです。にもかかわらず、長時間労働と同様に、今日まで放置されてきたのです。

すでに述べたように、日本では「男性は学校を卒業後はすぐに就職し、定年退職まで働き続けなければならない」という「常識」が根強く、男女の賃金格差も大きく、そのため男性の目の前には「働くしかない現実」があります。

その一方で、男性が「働いてさえいればいいという意識」を持っていたのもまた事実ではないでしょうか。「働くしかない現実」と「働いてさえいればいいという意識」は相補的な関係にあり、仕事を中心とした男性の生き方を強固なものにしてきたのです。

定年退職したばかりだった男性との印象的な会話があります。インタビューではいつも「40年間働いて、どうでしたか」と聞いているのですが、その男性は「あっという間で残念です」と答えたのです。「どうして残念なんですか」と続けたところ、「人生を80年と考えると40年はその半分です。それがあっという間だったのは残念です」と返ってきました。

当時私は30代になったばかりでしたが、「40歳までの10年間なんてあっという間だから僕の言ったことを忘れないでほしい」と言われたことをよく覚えています。年々、その言葉は重みを増し、今年で45歳になる自分には深く納得させられるものとなっている言葉です。

コロナ禍で変わるしかない生活、人生を考える

これまでの社会では、その時になってからでは遅いということに気づけず、男性は定年退職してからようやく仕事中心の生活について振り返ることができたわけです。新型コロナウイルスの感染拡大によって、働き方をめぐる議論が活発になっている状況は、定年を待たずに立ち止まって自分の生活や人生について考える機会を提供しているように感じています。

ぜひこれを読んでいるみなさんにも、会社で働くようになってから今までの時間の流れをどう感じるか考えてみてほしいのです。これまでの10年、20年があっという間であったならば、次の10年、20年も同じようにあっという間に過ぎていくに違いありません。

最後にひとこと、付け加えておきたいことがあります。通常、社会の変革はそれに伴う痛みを計算したうえで実行されなければなりません。今回の事態が、テレワークを含めた多様な働き方の実現を促進し、男性の仕事を中心とした生き方を見直すきっかけになったとしても、とてもではありませんが、社会全体が被った痛みに見合うものであるとはいえません。

ここで展開してきた議論は、あくまで新型コロナウイルスの感染拡大は起きないほうがよかったけれど、起きてしまった以上どうしたらいいのか、を考えたものです。

過去連載同様、田中先生へのご相談も受け付けております。ご相談のある方はこちらの投稿フォームへ。

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田中 俊之:大正大学心理社会学部准教授

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