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2020.09.26

おペット様が幸せに暮らしているすべてのパイセンへ│カレー沢薫 Vol.4

漫画家・コラムニスト:カレー沢薫

漫画家・コラムニストとして多数の連載を抱えるカレー沢薫さん。異色の猫漫画『クレムリン』でデビューし、近著では生き物を飼うことを描いた『きみにかわれるまえに』(2020年)が感涙必至の一作と反響続々。
今回は、「人が生き物と暮らすということ」をテーマにコラムを書いていただきました。

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お動物様を飼うと、心身が健康になりなかなか死ななくなる、とい失礼をしたが、もちろんメリットはそれだけではない。

動物を飼うと「呪いがかかりづらい」という利点がある。
もちろんお動物様たちが、人知れず呪いから人間を守ってくれるわけでない。
漫画の読みすぎだし、お動物様たちがそんな面倒なことをするはずがないだろう、彼らは飯食って寝るので忙しいのだ。

そういうファンタジーな話ではなく、ちゃんと根拠がある。
私は割とカジュアルに他人の不幸を祈ったり呪ったりするのだが、おキャット様を飼っている人間だけはどんなに憎くても呪わないし、断腸の思いで幸せを祈るまである。

大変残念なことに、ペットの幸福と飼い主の不幸というのはあまり両立しないため、全てのおキャット様の幸福を祈るなら、同時に飼い主の幸せも祈らなければならないのだ。

つまりおキャット様を飼うことにより、少なくとも呪ってくる人間は一人減るし、むしろ幸福を祈る人間が一人増えるのだ。
見ず知らずの人間に、スクランブル交差点の真ん中で「貴方の幸せと健康を祈らせてください」と肩を掴まれるような不気味さがあるかもしれないが、呪いをかけられるよりはマシだろう。
ペットと飼い主の幸せが同一ということは、ペットを幸せにするために自分も幸せになろうと思える、ということだ。

さらに、動物を飼い、きちんと仕えることにより、見ず知らずの人間に幸福を祈られるだけでなく、リスペクトもされるようになる。

私のように、おキャット様が好きだが飼わない決断をしている人間は、スペックや覚悟など、何かが自分には足りないと判断して飼わないことを決めている場合が多い。
そういう人間にとって、飼えるスペックがあり、覚悟を持って動物をちゃんと飼っている人と言うのは漏れなく尊敬に値する。

どんなに舐めている相手でも、動物を飼っていて、その動物が幸福そうなら自分より遥か上の存在に見えるし、最低でも今度から「殿」「パイセン」をつけて呼ぼうと思ってしまう。

自信がないなら飼わないというのも英断だと思っているが、大変さを理解した上で飼うという決断をした人には適わないという思いがあるのだ。
よって、私は日々ツイッターなどで出会った見ず知らずの猫を飼っている人の幸福を祈り心の中で「さしみしょうゆ(仮名)パイセン!」と呼ぶ毎日を送っている。
もしかしたら呪われるより嫌かもしれないが、それも猫を飼った人間が負う使命の1つなので我慢してほしい。

また、どんなに動物を飼うのが大変で、悲しいお別れをしても「飼うんじゃなかった」と思う人は少ないのではないかと思う。
私も昔飼った猫との別れが辛すぎて、今は飼わないと決めている人間だが、決して飼ったこと自体を後悔しているわけではない。

それがなければ、今の猫の漫画を描き続けて10年ぐらい経つのに、猫漫画家として全く名前が上がらないというポジションを得ることはできなかっただろう。
そもそも猫の漫画を描き始めたのも、漫画の中では永遠に元気な猫を存在させたいという、現実のババアは体が弱かったからせめて漫画の中では強いババアを描こうという漫☆画太郎と同じ動機があったからである。

つまり今の私があるのは、あの時猫を飼ったから、と言えるのだが、それこそ自己満足であり、別にその猫も私の人生を変えるために存在したわけではない。
しかし、動物はただそこにいるだけで「人生変わった」とか「あれがあったから今の自分がある」など、本来虚無であった私の人生に意味があるように錯覚させてくれる力があるのだ。

このように、ペットは何もしてくれない、だが何もしていないのに、人間はペットがいた場所から勝手に何かを拾うのだ。

ちなみに、現実の猫は死んでしまうので、漫画の中で永遠に元気な猫を描こうと言う動機で猫が出て来る漫画を描いてきた私だが、最近はそれもちょっと変わってきている。

先日『きみにかわれるまえに』という動物と飼い主の短編漫画集を出したのだが、この本に出て来る犬猫たちは永遠には生きないし、前述した「動物を飼う場合に起こり得るあまり楽しくないこと」を中心とした話が多いかもしれない。

どういう心境の変化があったのかと聞かれたら「そういうのを描いてくれ」と言われたから、としか言いようがなく、私がすでに2兆部売れているような作家だったら断っていたと思う。
しかし、どうせ描くならと動物を飼っている人、飼っていた人、飼おうかと思っている人、飼わないと決めている人に何か響けばと思って描いたので、上記に当てはまる人、つまり全員買っていただけるととても助かる。
また最初は、動物の死を描くことに全く気乗りがしなかったが、今となっては描いてよかったなと思っている。

このように動物と時間を共にすることにより、我々は勝手に学んだり人生を変えたりと様々な物を得る。
しかし、逆に我々と接することが動物にとって良いことだったのか、というのは永遠にわからない。

しかし、おキャット様などが室内で完全に野生を失い、大の字もしくはIの字で寝ているおキャット様の画像や、飼い主が帰ってきたことでテンションが上がり過ぎてどうにかなっているおドッグ様の動画を見ると、「人間と暮らして良かった動物もいるのだ」という気がしてくるのだ。

よって、お動物様を飼っている下僕の方はそういう写真をぜひ出し惜しみなく個人を特定されない程度にネットに載せて欲しい。

その代わりお礼として、見ず知らずの中年女が貴方の幸福と健康を祈り、密かに「パイセン」と呼ばせていただきたいと思う。

カレー沢薫

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漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』漫画家デビュー。多数のコラム・連載を抱えており、過去のエッセイ作品に『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『ブスの本懐』などがある。近著は『ひとりでしにたい』(2020年)『きみにかわれるまえに』(2020年)など。

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