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2020.09.19

お動物様のためなら意地でも死ねない人間たち│カレー沢薫 Vol.3

漫画家・コラムニスト:カレー沢薫

漫画家・コラムニストとして多数の連載を抱えるカレー沢薫さん。異色の猫漫画『クレムリン』でデビューし、近著では生き物を飼うことを描いた『きみにかわれるまえに』(2020年)が感涙必至の一作と反響続々。
今回は、「人が生き物と暮らすということ」をテーマにコラムを書いていただきました。

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動物を飼うというのは楽しいことだけではない、大変なことも多いし最後には必ず別れがやってくる。
それを考慮して飼わない者もいるが「それでも飼う」という決断をする者も多い。

ちゃんとおペット様の世話ができる経済的、時間的余裕がない、家がない、ペットロスに耐えられそうにないなど、飼わない理由は明確な場合が多い。
しかし「それでも飼う理由」というのは人それぞれなので、一概に「これが動物を飼う意義や」というのは言えない。
飼うきっかけというのも様々である。

そもそも動物を飼おうと思ったことがない人は「動物を飼う意義」自体理解できないかもしれない。
それも人それぞれなので別に良いのだが、自分がわからないからと言って決して飼っている人を否定してはいけない。

猫を飼っている女に「猫を飼うと婚期が遅れるってよ」とわざわざ言う人がいる。
猫好きからすると、その言葉は怒り以前に「猫と何かを比べる」ということ自体ナンセンスなので「何を言っているのかわからないが、因縁をつけられたのだけはわかる」という「恐怖」でしかない。

猫好きは、猫を比較する質問と言ったら「茶トラとキジトラどっちが良い?」ぐらいしか理解できないし、答えは「おキャット様を選ぶなんて無理なので死にます」という一択しかないのだ。

多様化社会なので、おキャット様より「結婚」の方が優れているという変わった価値観を持っているのは悪いことではない。しかし、それが絶対的に正しいとは思って他人に押し付けてはいけないのだ。

おそらく「結婚>おキャット様」という価値観の方は、ペットというカワイイだけで、経済的、労働力的にはマイナスにしかならない存在のために「結婚」という重要なものを逃すのは愚かという考えなのだと思う。

しかし、世の中には、結婚をしたために、経済力にも労働力にもならず、おまけにカワいくもないという生物の世話をする羽目になったという人も少なからずいらっしゃるような気もする。
もちろん結婚が全てそういう結果になるわけではないが「そうなる可能性がある」というリスクを考えると「カワイイ」だけは確実に確保できるおペット様を選ぶ方が逆に堅実と言えるのではないだろうか。

だが、何せ多様化社会である。金にも力にもならず、便所の使い方が猫より汚い生物が脱いだ靴下を拾うだけの人生で満足、という人がいてもおかしくないし、それを否定することはできない。
それと同じように、そういう二本足の畜生ではなくお動物様の世話をして生きることを選んだ人を否定してはならぬのである。

では、実際動物を飼う意味は「カワイイ」など所謂「癒し」のみかというとそうでもない。

もちろん、お動物様は人間に何かを与えるために存在しているわけではない。
しかし人間というのはお動物様を勝手に飼った上に、お動物様が与えてもないのに、勝手に授かってしまうのである。
そもそも「癒し」だって、お動物様はただ全裸で飯を食ったり寝たりウンコしたりしているだけなのに、それを見た人間が勝手に癒されているだけなのだ。

人間のおっさんとかが全裸で同じことをしている様子を一部始終見せられたら、癒しどころか場合によっては「通院」が必要である。
やはり動物というのは人間が与えられないものを人間に与えてくれる存在なのだ。

癒し以外にもお動物様を飼うことによって、人間が勝手に得るメリットというのは多々ある。

まずお動物様を飼うと「死なない」というメリットがある。

死なない、は語弊があるが、なかなか死ななくなるのは事実だ。
オタクは良く推しのことで爆発四散するが、何故か次の瞬間には残骸が集まって復活している、爆散したままでは今後も推しを推すことができないからだ。
動物を飼うことでそれと同じような効果が表れることがある。

「先に死んでしまうのが悲しいから飼わない」と言ってペットを飼わない人間は多いが、飼い始めた人間はほぼ口をそろえて「この子の最後を看取るまでは死ねない」と言うのだ。

病は気からというのはあながち嘘ではなく「生きる理由」の有無は、心と体の健康に大いに関係する。
ペットを残しておいそれ死ねないと思うことで、ストロング○の本数を控えるなど生活習慣の改善にも繋がるし、もしくはストロング○をいくら飲んでもまっすぐ歩けるようになるかもしれない。

奇しくも、動物を飼うことは健康に良いという話になってしまったが、別に読者に怒られたわけではない。

だが実際に、最初は癒しや寂しさを理由にペットを飼い始めた者が、いつの間にか、小動物を守護するゴリラになっているというのは良くある現象である。
やはり家に、全てが自分にかかっている命がいる人間は面構えが違う。

しかし、命の尊さとかそれを守る使命感を学習したりさせたりするために動物を飼うのはお勧めしない。

子ども産めば、自動的に女に母性が芽生えるわけではないように、動物を飼えば必ず命の尊さを知り、それを守る使命感にかられるというわけではない、もしそうだったら動物を捨てる人間が現れるはずはない。

飼う前から使命感があるのは前提だが、飼うことでさらにそれが強化され、使命を果たすために気が付いたらムキムキになっているという、付加効果がつくこともあるということだ。

ペットが心の支えというのは、ペットに支えられているのではなく「ペットを支えるために心の体幹が強靭になった」の略と倒置法なのである。

カレー沢薫

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漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』漫画家デビュー。多数のコラム・連載を抱えており、過去のエッセイ作品に『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『ブスの本懐』などがある。近著は『ひとりでしにたい』(2020年)『きみにかわれるまえに』(2020年)など。

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