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2020.09.12

おペット様と楽しく暮らすために、ネガティブなことから考える│カレー沢薫 Vol.2

漫画家・コラムニスト:カレー沢薫

漫画家・コラムニストとして多数の連載を抱えるカレー沢薫さん。異色の猫漫画『クレムリン』でデビューし、近著では生き物を飼うことを描いた『きみにかわれるまえに』(2020年)が感涙必至の一作と反響続々。
今回は、「人が生き物と暮らすということ」をテーマにコラムを書いていただきました。

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前回のコラムに対し「ペットを飼うと言うことに対しネガティブ過ぎやしないか」という批判が殺到、ということは特にない。
批判どころか、虚無過ぎて感想すらあまり発生しないのが私の著作物のチャームポイントである。

しかし「誰かが俺の悪口を言っている」という幻聴は良く聞くし、それにマジレスするのも得意だ。

個人的には、動物を飼う時はまずネガティブなことから考えて欲しいと思っている。
むしろ「ペットを飼うと、作物は枯れ、井戸が干上がり、山で惨殺死体が発見される」と脅すぐらいで良いのではないだろうか。

しかしそれで本当に山で生首とかが発見された時おペット様のせいにされても困る。
だがせめて、ペットを飼うコストや実際起こり得る問題ぐらいは理解して飼うべきである。

だが人は何かを欲しいと思っている時、それを手に入れた時のデメリットというのはあまり考えないものだし、売る方もメリットのみを提示し、デメリットはデキるだけ隠そうとする。

家を売る時も、家賃並みの支払いで将来は自分の資産になるからどう考えても家を買った方が得という話はしても「ローンが終わるころには修繕が必要で、ローンが終わったらローンが始まるというコブラ状態になります」という話はしないし、酷い時は不動産取得税や固定資産税の話すらしなかったりする。

当然ペットも飼う時だけではなく、生涯健やかに暮らしていただこうと思ったら、ずっと費用がかかるし、病気などで急な出費もある。
さらに旅行などあまり長い時間家を空けることはできないし、その際は信用のおける場所に預けるなどしなければならない。
つまり、ペットを飼うということは、飼わなければ発生しなかった、金、時間、労力の負担を負うということなのだ。

その昔、可愛いチワワを消費者金融でお金を借りて飼うか否か迷うというCMが人気になったが、今思えば恐ろしい世界観である。
少なくとも消費者金融で借りた金でペットを飼うような金銭感覚の人間は動物を飼わない方が良い。

これが旧石器時代のTVCMだったら良いのだが、何と、ほんの20年前ぐらいなのである。さらにこのCMでチワワの人気が出てしまったと言う事実はもはや笑い話にもならない。
ただ、今このCMを流したら、おそらく炎上するであろうし、前回少し触れたとおり動物の保護活動も盛んになってきており、そういう施設での譲渡は条件を満たした人のみにするようになっている。

つまり動物を飼うには覚悟と責任、そしてそれなりのスペックが必要、ということが昔に比べれば周知されるようになったのだ。

自分にはお動物様をお迎えできるスペックがない、というのは大変遺憾なことであり、正直ちょっと凹む。
しかしそれを自分で判断することができ「自分には飼えないから飼わない」という決断を下すことも、ある意味動物への思いやりである。

同じアクリルキーホルダーを最低10個持ってないとそのキャラのファンとは言えない、などということはないのと同じように「動物が好き」=「動物を飼っている」というわけではないのだ。

そしてペットには「いつか死んでしまう」という最大のデメリットがある。
さらに、ペットというのはゾウガメや樹木とかでないかぎり人間に比べると寿命がとても短い。
人間如きが無駄に100年も生きるのに対し、犬や猫は長くても20年程度しか生きられないのだ。

これは、完全な設計ミス、神は一体どこのクソ下請けにプログラミングを発注したのか、玄孫請けぐらいまで回さないとこんなミスは起こらないだろう。

そう思っていた時期が私にもありましたが、どちらかというと最近の人間はこの長すぎる寿命に苦しめられているし、ペットがお人間より短命なのは「俺より先に死んではいけない」というサダマサシズムの体現とも言える。
最後までおペット様のお世話をするために、人間の寿命がやたら長く設定されているのだとしたら文字通り「神システム」と言わざるを得ないだろう。

そう言う意味で飼い主よりもおペット様の方が先に身罷るというのは良いことなのだが、残された人間はとても悲しいのである。

それを言ったら死なない動物などいない、人間だっていつか死ぬ。
しかし人間の場合、それがどれだけ近しい間柄でも「死んでも全く悲しくない」というミラクルが稀に良く起こるが、ペットの場合、百発百億中悲しいと言っても過言ではないのだ。

さらにペットの場合、その悲しみを周囲が理解してくれないかもしれない、というリスクがある。

近しい親族が亡くなれば周囲は表面上だけでも同情はしてくれるだろう。
しかしペットの場合は必ずしもそうとは言えない、最悪「たかがペットのことで」と言われてしまうこともある。
ペットを失う悲しみをないがしろにされるというのは、ペットそのものを軽んじられたに等しく、悲しみ倍プッシュでますます立ち直れなくなるのだ。

ペットじゃなくても「嵐が休止するので休ませてください」「花京院が死んだので有給使います」と言って、怒られるどころか一笑に伏されたらとても傷つくだろう。
自分にとって大事なことを他人にわかってもらえないというのは辛いことなのだ。

ペットを飼うことにより、死だけではなく「理解されない苦しみ」を味わう可能性が高まることは否定できない。

ペットを飼うのはこんなに大変だから飼うなという話ではない、大変さを理解して飼った方がおペット様のためはもちろん、飼う側のためにも良い。

つまり、より楽しくおペット様と暮らすために、あまり楽しくない時のことも知っておいた方がよいということである。

カレー沢薫

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漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』漫画家デビュー。多数のコラム・連載を抱えており、過去のエッセイ作品に『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『ブスの本懐』などがある。近著は『ひとりでしにたい』(2020年)『きみにかわれるまえに』(2020年)など。

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