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2020.08.10

日本マラソン界のために、東京五輪で成し遂げなくてはならないこと【瀬古利彦の今だから言える話Vol.3】

瀬古利彦

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皆さん、こんにちは。瀬古利彦です。

私はかつてマラソンランナーとして3度、オリンピックの代表になりました。その後は指導者を経て、現在は日本陸上競技連盟のマラソン強化・戦略プロジェクトリーダーとして、来たる東京五輪で日本勢が活躍できるよう仕事をしています。

人生のほとんどを捧げてきたマラソンから私が学んだこと、経験から得たことをここではお伝えしたいと思います。

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二転三転だらけの東京五輪

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2013年9月に2020年のオリンピック東京開催が決まりました。
私は2016年10月に日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーに就任し、日本人選手が自国開催のオリンピックで活躍するためにはどうすればいいか。それを考え、様々な施策をうってきました。

これまでとの最も大きな違いは代表選手の選考の方法です。以前は指定された複数のレースの上位入賞者から日本陸連が選考していましたが、今回は明確な選考レースをひとつ設け、上位入賞者は即時内定としたのです。
それが2019年9月のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)。ここに出場する資格として一定の実績を求めたこともあり、経験があり、かつ一発勝負の強さを持つ選手を選べるメリットがあります。コースも当初予定されていたオリンピック本番のものとほぼ同じコースで行われました。

結果として男女ともMGCの上位2名が選ばれ、その後の国内の指定された3レースで最もいい記録を出した選手1名が代表になっています。そしてその産物として日本記録が3回塗り替えられました。

しかし2019年冬に国際オリンピック委員会(IOC)が突然、マラソンの開催を札幌にすると発表しました。これは現場にいる私たちにとっても寝耳に水でした。
2013年のオリンピック招致決定以降、夏の東京の気象条件のデータを取り続け、選手向けに暑熱対策も行ってきたのです。選考レースもオリンピック本番を想定して行っています。これまでの準備が一気に崩れたのは事実です。

本来、男子マラソンは全日程の最終日の最終種目でした。オリンピックを締めくくる種目として、メダル授与式も閉会式で行われるほど、ある意味特別で注目を集める競技です。授与式がどのように行われるのか、まだ正確には分かっていませんが、選手もそれを理解した上で楽しみにしていたでしょうから、変更を受け入れてくださった北海道、札幌市の皆さんには感謝しながらも、東京での開催準備に関わってくれていた人の気持ちも考えると、無念というより他ありません。

さらに、今年3月には新型コロナウイルス感染症による影響で、オリンピック自体が延期になりました。これは仕方ありません。人類が直面した世界的な危機であり、一般の人にとってはオリンピックどころではありません。まずはその収束が何より大事です。1年後もどうなるかまだ分かりませんが、何とか平和な世の中が戻り、オリンピックを実現して欲しいと願っています。

開催延期をチャンスと捉えて

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私はマラソンに関して延期は前向きに捉えています。それは日本勢に力を伸ばす時間が生まれたことが一番の理由です。

現在、選ばれている男女6名の選手は厳しい選考を勝ち上がった素晴らしい選手です。延期になったからといって、代表を変える考えはありません。もし延期ではなく中止となり、2024年のパリ五輪までないのであれば話は別ですが、「東京2020」の枠組みでやる以上、このメンバーでいくつもりです。
それは今回の特別な選考制度の中で、文句なく決まった代表であり、6名すべてが20代。1年で衰える心配はありません。事実、代表選考をやり直した方がいいとの声はまだどこからも上がってきていません。1年を有意義に使えば、全員が必ずレベルアップしてくれるはずです。

またマラソンが札幌での実施に変わったのが昨年の冬のことです。夏の札幌の気象条件やコースの状況を確認できないまま、オリンピック本番を迎える流れになっていましたが、1年延びたためデータ収集が可能になりました。

もし今年のスケジュールのまま、来年にオリンピックを行うとすれば、女子の8月7日、男子の8月8日にどんな気象条件なのか、その前後まで含めて調べられます。札幌といえど、気温が上がる日は東京並みに上がりますから油断はできません。日本陸連には科学委員会という組織がありますので、彼らが中心となってさらに細かく調べていきます。

マラソンは人を惹きつける力がある

2020年春、東京五輪マラソン代表選手とともに円谷幸吉のお墓参りへ。写真は福島県須賀川市にある円谷幸吉メモリアルホールにて

2020年春、東京五輪マラソン代表選手とともに円谷幸吉のお墓参りへ。写真は福島県須賀川市にある円谷幸吉メモリアルホールにて

1980年のモスクワ五輪ボイコット。今回の東京五輪の延期。私の一生においてオリンピックは本当にいろんなことが起きるなと感じています。ただ、人生は想定外があるから面白いのです。

前回に書きました通り、物事は前向きに考えていかないといけません。悲観的に考えるとうまくいかなくなってしまうと私自身が経験しています。ですから選手にも自信を持って、準備を進めて欲しい。そう伝え続けています。

マラソンという種目には人々を惹きつける力があると考えています。
現在、マラソンランナーが多くの人に応援していただける原点は、1964年の東京五輪男子マラソンで円谷幸吉(つぶらや こうきち)さんが銅メダルをとったことにあります。これは東京五輪の陸上競技で日本勢が唯一獲得したメダルであり、国立競技場のポールに初めて日の丸が掲げられることとなったのです。私は小学校2年生だったため、その瞬間の記憶はあまりないのですが、マラソンと言えば円谷さんであり、その存在はヒーローそのものでした。

この1964年大会のある金メダリストの方がこう教えてくれました。
「オリンピックの後にメダリストが集まって全国にお礼の行脚をした時、どこへ行っても金メダルの自分より、銅メダルの円谷選手の方が人気があったよ」。それくらいマラソンは魅力的な種目だということでしょう。しかし残念ながら日本勢は男子は1992年バルセロナ大会から、女子も2004年アテネ大会以降、メダル獲得がありません。

今回は56年前に日本を熱狂させたような熱い走りを選手にしてもらうと同時に、結果も残さなければいけない。そうしないとマラソンは忘れられてしまう。そのくらいの覚悟で今、私は仕事に取り組んでいます。

瀬古利彦の今だから言える話vol4は8/11公開!

瀬古 利彦(せこ・としひこ)さん

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1956年7月15日生まれ、三重県出身。
四日市工業高校時代は中長距離の全国トップ選手として活躍。早稲田大学入学後は1年時からマラソンに取り組み、1980年代、世界屈指の長距離ランナーとしての地位を築く。海外のマラソンでもロンドン、シカゴで各1回、ボストンで2回優勝と勝負強さを見せた。オリンピックのマラソン代表には日本がボイコットした1980年モスクワ、84年ロサンゼルス(14位)、88年ソウル(9位)と3大会連続で選出。マラソンの通算成績は15戦10勝。現役引退後は指導者となり、1990年には母校早大を箱根駅伝総合優勝に導く。現在は横浜DeNAランニングクラブエグゼクティブアドバイザーを務める一方、2016年から日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーとして活動している。

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