メニュー

2019.09.10

認知症の母と暮らす脳科学者が見つけた"希望"|自信を失う生活の中、自尊心をどう支えるか

東洋経済オンライン

認知症の脳はどうなっているのでしょうか?(写真:よっし / PIXTA)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/299494?utm_source=deschl&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

認知症の脳はどうなっているのでしょうか?(写真:よっし / PIXTA)

アルツハイマー型認知症と診断された実母と生活をともにし、今も様子を見続けている、脳科学者の恩蔵絢子さん。母と暮らす中で、認知症の症状が進んでも、本人の趣味嗜好が生活の希望となることを感じたという。

今回は、30〜40代の脳にまつわる「感情」「理性」「記憶」の問題に答えた前回記事からさらに踏み込み、認知症の脳について考える。

前回記事:脳科学者が語る「直感をバカにしてはいけない」

治療法がないのであれば、母の自尊心を保つ行動を

――恩蔵さんのお母様について教えていただけますか?

2015年1月から、私の母は日常の中で、小さな勘違いが増えていきました。例えば、すでに買ったはずの生活用品を買い足したり、三分咲きの桜を見て「桜が満開!」と言ったりしました。

それを見た娘である私からは「えっ?」というようなびっくりした顔を向けられる。それで、母も自分のミスに気づいてしまう。母は家族から驚かれ、本人も混乱し落胆するという、とても苦しい時期を過ごしました。

自分の脳科学の知識を基に母を見ると、「どうも新しく脳に入ってきた情報を定着させる海馬に問題がありそう。おそらく母はアルツハイマー型認知症だ」と見当がつきました。でも私自身が母の状態を受け入れられず、病院に行くのをためらっていました。結局、母がアルツハイマー型認知症と診断されたのは、それから10カ月後でした。

認知症の解明はまだ進んでいません。アルツハイマー型認知症の人の脳には、脳が自ら分解して回収しきれなかったゴミのような物質(老人斑と神経原線維変化)がたまっていることはわかっています。

しかし近年、老人斑のもととなるアミロイドβを取り除いても、アルツハイマー病の進行は止められないとの研究報告が複数なされました。現在認可されている薬は、神経細胞の伝達をよくし、進行を遅らせるには効果があるかもしれないというもので、アルツハイマー型認知症を完全に治療することはまだできないのが現状です。それ以外に治療法がないのであれば、母の好きなものを生活の軸に据えて、楽しく暮らそうと考えました。

――お母様の好きなものは何ですか?

料理と散歩です。私が一緒に台所に立ち、父が一緒に歩くなど、ちょっとしたサポートをすることで、母は今までと変わらず好きなことを続けることができました。

この2つを軸に据えてから、うつっぽい症状が回復して、母は自分から進んでいろいろとやりたがるようになりました。日常生活で自信を失う場面が多々ある中で、「私には大好きな料理の時間があるから大丈夫!」と思ったのかもしれません。母の自尊心が保たれたような気がしました。

私は、母は何が好きなのか、母が病気になってから探っていくことになりました。私に限らず、自分の親の好きなことを聞かれて、すぐに答えられるほど両親と向き合っている人は意外と少ないのではないでしょうか。毎日の生活で、その人の好きなこと、嫌いなことを見据えながら付き合っていく。これこそが“その人らしさの発見”であり、自尊心を保つためにも必要なことではないかと思います。

“その人らしさ”を引き出すため、感情の中枢を揺り動かす

――恩蔵さんのお母様同様、私の母も認知症です。母の施設の実例ですが、介護福祉士さんが懸命に頑張っていても、認知症の男性入居者は女性に比べて自分の感情を表しにくい方が多いせいか、なかなか“その人らしさ”に触れられない場面が見受けられます。要は、自分の心の引き出しを誰かに開けてもらうのを待っている。でもそれがずっと開けられないのだとしたら、とても悲しいことだと思うのです。

そうですね。女性のように自分の感情を表に出すことに慣れない男性のほうが、介護の現場で困る話も聞きますね。でも、感情を出しづらいのは性差の問題でもないのかもしれません。

恩蔵絢子(おんぞう あやこ)/1979年生まれの脳科学者。専門は自意識と感情。2007年に東京工業大学大学院総合理工学研究科 知能システム科学専攻博士課程を修了、学術博士。現在、金城学院大学、早稲田大学、日本女子大学にて非常勤講師を務める。著書に『脳科学者の母が、認知症になる ~記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』、『化粧する脳』(茂木健一郎との共著)、訳書にジョナサン・コール『顔の科学−自己と他者をつなぐもの』、茂木健一郎『IKIGAI−日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』がある(撮影:大澤誠)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/299494?page=2

恩蔵絢子(おんぞう あやこ)/1979年生まれの脳科学者。専門は自意識と感情。2007年に東京工業大学大学院総合理工学研究科 知能システム科学専攻博士課程を修了、学術博士。現在、金城学院大学、早稲田大学、日本女子大学にて非常勤講師を務める。著書に『脳科学者の母が、認知症になる ~記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』、『化粧する脳』(茂木健一郎との共著)、訳書にジョナサン・コール『顔の科学−自己と他者をつなぐもの』、茂木健一郎『IKIGAI−日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』がある(撮影:大澤誠)

実は私も、20代のときに失語症というくらい、人前で話せなくなってしまったんです。そのときにゼミの先生だった茂木健一郎先生は「自分の感情をバカにするな。どんな感情でもいいから口に出して言ってみろ」と言ってくださって。茂木先生の言葉をきっかけにして、頭の中でがんじがらめになっていた自分から自由になれた実体験があるんです。

私は他人にどう見られるかを気にしすぎて、言葉が出せなくなっていたのですが、ほかにもいろいろな理由で、自分の感情を言葉にするのが苦手な方がいらっしゃるのだと思います。

言葉がもともと苦手という人もいれば、社会的地位が高くなって感情を押し込める癖がついた方もいるでしょう。自分の感情を素直に表せず、周りから見ると「わかりにくい」人であっても、どんな人でも感情を持っています。その方たちが困っていらっしゃるのだとしたら、やはり周りの方が心の引き出しをトントンと叩いて開けて差し上げるといいですよね。

誰でも皆、心に宝物というべき大好きなものを持っています。なかなか心にアプローチされにくい方々には、「宝物がどこにありますか?」と言って、心の扉をノックして差し上げたいですよね。

――心の宝物という話では、私の母はプロ野球が大好きで、とりわけ読売ジャイアンツが好きでした。認知症の症状が進み、2分前の食事を忘れるのに、ジャイアンツや野球に関してはずっと忘れなかったんです。

お母様のキラキラした思い出や心の宝物探しが見つかっている状態ですね。

その場では理解でき、いろいろ感じていることが大事

――恩蔵さんのお母様は料理と散歩を生活の軸に据えられていましたが、私の母もプロ野球が生活に絡むとゴキゲンでした。それで巨人戦の中継を見せると、初めの1分ぐらいは夢中で観るのですが、しばらく経つと試合が「人がうごめいているだけ」に見えてしまうようで、飽きてしまいまして……。

その「1分ぐらいは夢中で観るけれど、飽きてしまう」というのが、認知症を考えるうえで重要なんです。繰り返しになりますが、アルツハイマー型認知症の初期で問題になるのは、新しい記憶を定着させる海馬です。

認知症の方も新しく言われた内容を理解しており、数秒から数分の間はその記憶を維持しています。これを「短期記憶」と言います。「短期記憶」は無事でも、それを数時間、数ヵ月、数年と続く「長期記憶」として脳に定着させることは、海馬が少し萎縮してしまうと苦手になるのです。

お母様の話に戻すと、起きたことの1つひとつは理解をしている。でも長く続く記憶として定着せずに抜けていってしまう。だからお母様は「巨人戦だ」と思って見始めますが、しばらく経つと、どのチームが何点入れていて、どのような戦いかという筋が追えなくなってしまうのです。

テレビや試合は、見る人が流れや文脈を追わないといけません。海馬に少し問題や傷のあるアルツハイマー型認知症の方が、前に起こったプレーや試合の局面を覚えて、ずっと頭の中で引き継ぐのは難しいのです。でも重要なのは、その場その場では物事が理解できていて、お母様がいろいろ感じていることなのだと思います。

――認知症の脳の仕組みとして、試合の流れを追い続けることは難しかったのですね。その後、私が編み出したのは母にプロ野球の実況で使われる野球用語を話しかけるというものでした。試合全体の理解が難しいのならば、言葉ならどうだろうという実験です。「ダブルプレー」「ジグザグ打線」などの野球用語、「スライダー」といった球種を話すと、頭に「ピカッ」と電気がついたように顔が明るくなるのです。

それは面白いですね。お母様は普段から実況がお好きだったんですか?

――実況が好き……というわけではありませんでした。母はテレビで野球中継を見る以上に、台所で料理を作りながらラジオの野球中継をよく聞いていた。だから、母は野球をテレビ画面ではなく、言葉で捉えているのかもしれないと思ったんですね。

お母様を観察していたからこそ、できたことですよね。お母様を実際に拝見していないので、耳から入った野球用語をどこまで意味づけされていたかはわかりません。でも、お母様が台所で繰り返し聞いてきた野球の実況用語は覚えているはずです。だから慣れた言葉、好きな言葉がまだお母様の頭に残っていて、海馬に問題を抱えていても感情を揺り動かせたのではないかと思います。

「好き」「楽しい」という気持ちを起点にすると、脳の伝達ネットワークを変えることができます。感情の中枢である扁桃体(へんとうたい)は、海馬のすぐ隣に位置しています。アルツハイマー型認知症で海馬が少し萎縮すると言っても、海馬のすべてが損傷してしまったわけではありません。感情が動けば、扁桃体からたくさんの刺激が海馬に送られ、海馬がよく働き、その時々のことを覚えられる可能性があります。

だからもしかすると、横山さんと一緒に野球の実況中継を聴いて楽しかった記憶が、お母様の中に残ったかもしれません。

お母様にとっては、野球用語が刺激的だった。しかも単発の言葉だけなので、試合の成り行きを考えなくて済む。だから負担がなく感情を動かすことができたのだと思います。

人は海馬を取り除いても記憶を残せるのか

――アルツハイマー型認知症では、新しい記憶を司る海馬に少し傷がついているということですが、海馬自体がなくなると、人間は記憶ができないのでしょうか?

海馬をてんかんの治療のために手術で切除してしまった人がいます。海馬は記憶の中枢と言われていますが、海馬を切除してもその人に古い記憶はきちんと残っていた。海馬ではなく、大脳皮質に古い記憶が蓄えられていたんです。アルツハイマー型認知症の方は、海馬がすべて駄目になってしまったわけではないので、新しい記憶もまったく蓄えられなくなったわけではありませんし、昔の記憶も残っているわけです。

また自分の好きなこと、興味のあることは記憶としてよく残るんですね。「うれしい」「楽しい」と心が揺り動かされると、記憶も強く定着する。海馬の隣にある感情の中枢が強く刺激されると、結局脳全体が刺激されることになるのだと思います。だから感情を動かすことは、認知症の人にとってもいろいろな意味で希望があると思うんですよね。

(次回につづく)

記事画像

横山 由希路:フリーランスライター・編集者

【あわせて読みたい】 ※外部サイトに遷移します