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2019.06.01

がん早期発見に劇的進歩もたらす新技術の正体|リキッドバイオプシーへの大きな期待と不安

東洋経済オンライン

がん検診のあり方を抜本的に変えるかもしれない(写真:buritora/PIXTA)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/283606?utm_source=deschl&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

がん検診のあり方を抜本的に変えるかもしれない(写真:buritora/PIXTA)

水泳の池江璃花子選手、歌手の岡村孝子さんが「血液のがん」といわれる白血病の発症を発表、タレントの堀ちえみさんも舌がんだったことがわかり、がんに対する世間の関心が高まっている。

有名人ががんを発症すると知人のメディア関係者からコメントを求められることがある。その際に多いのは「がんを早期発見するにはどうすればいいのでしょうか?」という質問だ。池江選手の場合も「早期に発見されていた」というニュースが流れた。

がん治療において早期発見は重要だ。治療成績は早期発見にかかっていると言っても過言ではない。ただ、がんの早期発見は難しい。それは早期がんの患者の多くは無症状だからだ。症状が出てから病院を受診した場合に、手遅れだったということは少なくない。がんを早期発見するには、無症状の人に検査を受けてもらわなければならない。つまりがん検診を受診して貰わねばならない。

がん検査による初期発見の検出率は著しく低い

わが国では肺がん、胃がん、乳がん、大腸がん、子宮頸がんを対象に公的ながん検診が実施されている。健康増進法に基づき市区町村が実施する。補助金が出るため、自己負担は少額か無料だ。

ただ、がん検診には問題も多い。技術が未確立で、検出率が高くないのだ。例えば、肺がんの場合、多くの早期がんを見逃してしまうことがわかっている。

わが国の肺がん検診は胸部X線検査を用いるが、胸部X線検査の解像力は低く、微少な病変や心臓など縦隔組織と重なると見落としてしまうのだ。世界の趨勢は被曝量を減らした低線量CT検査である。ところが、わが国では、さまざまなしがらみがあり、胸部X線検査から低線量CT検査への移行が遅れている。

そんな中で、がん検診の在り方を抜本的に変えるかもしれない画期的な技術が最近、開発された。それはリキッドバイオプシーだ。

リキッドバイオプシーとは、血液や脳脊髄液、あるいは胸水や腹水などの「リキッド(液体)」のサンプルを用いて、がんの診断や治療効果の判定を行うことだ。ゲノム解析を行うことも可能だ。ゲノム情報がわかれば、がんの遺伝子情報に基づく個別化医療が可能になる。

従来、がん細胞を採取しようとすれば、白血病など一部の悪性腫瘍を除き、手術や生検などの侵襲的な処置が必要だった。患者の全身状態が悪ければ、手術や生検は難しい。

ところが、リキッドバイオプシーで求められるのは基本的に採血だけだ。従来の方法と比べて、はるかに低い侵襲で大きなデータを入手できる。血液検査であれば、どこでもできる。この検査が普及すれば、へき地に住む患者でも、地元のクリニックで検査を受けることができる。

一方で、リキッドバイオプシーを実施するためには高度な技術が必要だ。血液中を循環する腫瘍細胞および腫瘍細胞由来のDNAなどの物質は、ごくわずかだからだ。腫瘍細胞の場合、通常1mℓの血液中に10細胞以下だ。従来の技術では検出できなかった。これを可能にしたのが、近年のゲノムシークエンス技術の進歩だ。

現在の技術では、数コピーのDNAでも検出可能だ。10mℓの採血をすると9000コピー程度のDNAを採取できる。この中に0.01~0.1%程度のがん由来のDNAがあれば、それを検出できる。

そして、近い将来には、シークエンス技術の進歩で、この程度のDNAさえ確保できれば、がん細胞の一部の遺伝子情報だけでなく、全ゲノムを解読してしまうようになるだろう。

アメリカでの実験では検出率がほぼ100%

現在、世界中の企業がリキッドバイオプシーの技術開発にしのぎを削っている。近年の研究では、がん患者の70~80%程度で血液から充分な量のがんDNAを抽出できることがわかっている。リキッドバイオプシーのシークエンスの結果は9割程度でがん組織と一致する。

すでに、いくつかの興味深い研究成果が報告されている。アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の研究者たちは、昨年1月にアメリカの科学誌『サイエンス』に自らが開発した”CancerSEEK”と呼ばれるリキッドバイオプシーの研究成果を公表した。

結果は驚くべきものだった。肝臓がんや卵巣がんなど血管が豊富な組織で発生したがんでは、ステージ1でもほぼ100%が検出できた。これは現行のがん検診をはるかに上回る。乳がんや食道がんでの検出感度は悪かったものの、すべてを合計して検出率はステージ1で43%、ステージ2で73%、ステージ3で78%だった。

ステージ2とは、がん細胞が粘膜下の筋肉層に到達しているが転移はなく、多くは手術で治癒するものだ。つまり、採血をするだけで、手術によって治癒が期待できる早期がんを見つけられる。胃がん検診で必要なバリウムや胃カメラを飲んだり、肺がん検診で必要な胸部X線検査を受けたりする必要はない。手間をかけずに早期がんを検出できる。

この技術は開発途上だが、企業の鼻息は荒い。技術開発の筆頭を走るのは、シリコンバレーのグレイル社だ。ゲノムシークエンスの最大手のイルミナ社から2016年にスピンアウトした。

グレイル社は「2019年までに最初のリキッドバイオプシーを実現する」と宣言している。

この見解に懐疑的な関係者も多いが、遅くとも数年の間に、この技術は臨床応用されるだろう。そうなれば、がん治療後の再発のスクリーニングや、がん検診にも応用されるだろう。そうなれば、冒頭にご紹介したように、がんの早期診断のあり方が抜本的に変わることになる。

前述したように、この領域をリードするのはアメリカだ。では、アメリカでこの分野を引っ張ったのは誰だろう。医師や研究者は勿論だが、バラク・オバマ前大統領の存在が大きかった。彼は、自らが主導した最後の予算である2016年度予算で、約2億1500万ドルを「プレシジョンメディスン(精密医療)」に投資した。

「プレシジョンメディスン」とは、ゲノム情報などに基づき、最適な治療方法を、最適なタイミングで提供することだ。このような流れの中で開発されたのがリキッドバイオプシーだ。

新たな技術が参入することでの問題点は?

リキッドバイオプシーは、やがてわが国にも入ってくるだろう。わが国のがん患者に大きな貢献をするはずだ。

ところが、私はこの点について不安がある。リキッドバイオプシーの普及はがん検診業界のパワーバランスを変えるからだ。この領域で生活してきた多くの人が「失業」あるいは「変化」を強いられる。必死に抵抗するだろう。

早期がんの多くを見落とし、集団の予後を改善しないことが公知の胸部X線を用いた肺がん検診など、その典型例だ。公的ながん検診に胸部X線を用いている先進国は、私の知る限り日本だけだ。国立がん研究センターを筆頭に低線量CT検査に否定的な見解を示し続けてきた。

どうすればいいのだろうか。私はリキッドバイオプシーを含め、がん検診に関する正確な情報を社会でシェアし、公で議論することだと考えている。そのためにはメディアの役割が大きい。メディアが問題点を広く報じなければ、誰も問題の存在を認識できないからだ。本稿が、その一助になれば幸いである。

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上 昌広:医療ガバナンス研究所理事長

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