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2019.04.19

レジ袋のポリエチレンが「人工網膜」になる日|岡山大学「高解像度での視力回復」の新技術

東洋経済オンライン

人工網膜(右側の瓶)と眼球に挿入するために開発した専用の装置(筆者撮影)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/277160?utm_source=deschl&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

人工網膜(右側の瓶)と眼球に挿入するために開発した専用の装置(筆者撮影)

網膜から視神経へと電気信号が伝わらない。それはすなわち「視力を失う」ことを意味している。しかし、言い換えれば光を電気信号に変換し、視神経へと伝えるデバイスがあれば、網膜の代わりに映像を脳に伝えることができる。

まるでSFの世界のようではあるが、実はこうしたデバイスはすでに存在しており、アメリカ食品医薬品局が認定したデバイスとして「Argus II」というシステムがある。

Argus IIは60個の小電極を並べたデバイスで、1つのノード(電極)が100~10000の視神経細胞を刺激することで、明るさを感じさせることが可能だ。しかし、ノード数は60個しかない。すなわち、Argus IIを埋め込んだとしても、得られる視野の中には、モノクロの60ピクセルで構成されるモザイクにしかならない。

もちろん、たった60画素であったとしても、完全に視力を奪われた患者からすれば、大きな助けにはなるだろう。大まかな行動の指針にはなるからだ。

ところが岡山大学では、まだ動物実験の段階ではあるものの、視神経が本来持っているオリジナルの解像度そのままで明るさを感じられる人工網膜が開発されているという。

視野は患者による差違はあるものの、おおむね視野角30度の範囲で明るさの差違を見分けることができる。また10ルクスといった低照度の光に対しても、視神経への十分な反応が得られていることから、かなり広い照度範囲で視覚を得られるのではないか?と期待されている。

ポリエチレン薄膜を網膜裏に移植

岡山大学の大学病院でも診療する医学博士の松尾俊彦准教授が、高分子素材の専門家で工学博士の内田哲也准教授と共同で開発した「OUReP(オーレップ)」は、薄いポリエチレン基板(薄膜)の表面に光を電位差へと変換する性質を持つ特殊な色素分子を密に結合させることで作られる。

人工網膜の実物。光電変換色素が赤いため、薄いピンク色をしている(筆者撮影)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/277160?utm_source=deschl&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

人工網膜の実物。光電変換色素が赤いため、薄いピンク色をしている(筆者撮影)

この光電変換色素を結合した薄膜は300ルクスの明るさを照射するとその表面には100ミリボルト前後の電圧変化が得られるという。光電変換は色素分子ごとに起きるため、光が当たった部分にのみ電位差が発生する。この光電変換色素を結合したポリエチレン薄膜を、機能しなくなっている網膜の裏に移植すると、発生した電位差が神経細胞を刺激し、それが明るさ情報となって脳に伝わり認識される仕組み。

視細胞が死滅して視力を失う疾患の場合、光による刺激を電荷として視神経に送ることができなくなる。人工網膜は視細胞の働きを代替する素材だ(画像:岡山大学)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/277160?page=2

視細胞が死滅して視力を失う疾患の場合、光による刺激を電荷として視神経に送ることができなくなる。人工網膜は視細胞の働きを代替する素材だ(画像:岡山大学)

光電変換色素を用いた人工網膜は世界でもほかに例がないという。
移植は網膜に小さな傷をつけ、そこに生理食塩水を流し込むことで人工的に網膜剥離の状態を作り、そこにプラスティックで作った針のように細い中空パイプ(人工網膜注入器)を挿入。パイプ内に丸めて挿入されている人工網膜を吐出し、剥離した網膜の裏に人工網膜を移植する。

現在はサルおよびウサギの眼球を用いた実験段階とのことだが、いずれもヒトの眼球に比べ半分程度のサイズにもかかわらず、手術は成功を収めていると松尾准教授は話す。

「本当にサルの視覚が回復しているのか?と言われると、われわれはサルと話ができないため、どのようにサルが視野を感じているのかはわかりません。しかし、およそ10ルクスでも反応を示し、視覚刺激の変化にも応答しています」(松尾准教授)

実際に視覚を失っているサルに対して、繰り返し光刺激すると、人工網膜を移植しない場合は脳の反応が減弱しているが、移植後に調べると光刺激に反応した脳の電気活動(視覚誘発電位)が観測されるという。

松尾准教授は「手術の難易度は眼球が大きいほうが下がるため、ウサギやサルよりもヒトの眼球への移植のほうが容易と思われます。今年後半から来年ぐらいにはヒトに対する治験も進めていきたいと考えています」と前向きに話した。

学内に人工網膜専用生産設備を導入

ポリエチレンといえば、スーパーなどの買い物袋で使われている素材でもあるが、人工網膜に使うことのできるポリエチレン薄膜は、作り方も添加物の有無もそれらとは異なる。

一般的なポリエチレンの袋はさまざまな添加物を加えて空気で膨らませながら薄いフィルム状に加工する。このため、体内埋植に適した無添加のポリエチレン薄膜を作製できる工場が一般には存在していない。また、空気で膨らませながら作ると表面構造が不均一になり、人工網膜には適さない。

その後の光電変換色素を結合させる工程も含め、異物の入らないクリーンな環境で行わなければ患者に安心して使ってもらうことはできない。理論上は“可能なはず”であっても、生体内に埋め込むための素材がなければ前には進まない。加工業者を探し続け、断られ続けた末に、岡山大学では自分たちで生産設備を作る決心をした。

生産設備の導入にはノウハウと資金が必要だが、まず岡山県総社市のリサイクル材料メーカー三乗工業が約2年前、人工網膜に関する講演を聞いて協力を申し出た。とはいえ、医療機器、医療素材の生産からは遠く、当初は工学部研究室で得られた知見を基に産学連携での試行錯誤の繰り返しだったそうだ。

こうした研究開発を経て、岡山大学内に専用クリーンルームを作り、専用の生産設備を稼働させることに昨年成功した。クリーンルームの中で高精度の金型を用いた“プレス加工”でポリエチレン基板を生産し、それを岡山県にあるバイオメディカル企業の林原から提供された光電変換色素分子と結合させる。この工程により品質、無菌性が担保され、メディカルグレードの人工網膜の作製が可能となった。

実際に眼球への移植を行う際には、人工的に発生させる網膜剥離の大きさ(個人差があるためカスタムメイドである必要がある)に合わせて、手術室でポリエチレン薄膜をはさみで切って移植手術を行う。

人工網膜を移植する際に使うディスポ注射器に似た治具(人工網膜注入器)も、数社の岡山県の異業種ものづくり中小企業(三乗工業、シバセ工業、ケイ・テクノなど)と連携して、創意工夫を加えながら開発しているという。

移植後少なくとも半年は機能する

挿入された人工網膜は、素材そのものの弾性で形状が復元され、剥離した網膜の裏に定着するが、定着し、安定して機能するまでには時間がかかるかもしれない。

サルの場合、1カ月後には明らかに機能していて、6カ月目までは機能することがわかっている。

この人工網膜をヒトに適用する認可が得られるようになれば、少なくともモノクロの視野を得られる可能性がありそうだ。しかも高額なデバイスは不要で、安価な素材を用いることで実現できる。

これまで多くの医療技術ベンチャー立ち上げに関わってきた岡山大学副学長の那須保友氏は「最先端の医薬品・医療機器といえば得てして高額というイメージがある。医療費の高額化が社会問題となる中、高機能かつ安価であることは世界中の誰も取り残されず恩恵を被れるということに大きな意義がある」と話す。

今年後半から来年にはヒトへの治験を始めたいとする岡山大学は、現在すでに稼働している地元企業との連携による人工網膜の生産、および移植用治具などの技術を基に、2021年の事業化を目指している。岡山から日本へ、そして、世界への展開を目指して、さらに北米の大学と連携してデータを積み上げ、北米市場も含めた製品販売を模索する。

人工網膜「OUReP」は視細胞が死滅する病気(網膜色素変性、加齢黄斑変性など)には有益な解決策となりそうだが、一方で視神経からの刺激を脳に伝える神経が死滅する疾患(緑内障)には効果が得られない。しかし、同大学のチームはOURePとともに、視神経を代替する人工視神経の開発も進め、視覚障害に対して低廉な治療方法の開発を地域連携で進めていくという。

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本田 雅一:ITジャーナリスト

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