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2018.12.31

「認知症」の人と会話がギクシャクする背景|社会的認知が低下するとはどういうことか

東洋経済オンライン

認知症になった人の心の中はどうなっているのでしょうか。写真はイメージ(写真:Willowpix/iStock)

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認知症になった人の心の中はどうなっているのでしょうか。写真はイメージ(写真:Willowpix/iStock)

「認知症になって記憶が失われても、心が失われるわけではない」とは、よく聞くフレーズです。では、その「心」とは、いったいどのようなものなのでしょうか? 佐藤眞一教授らの研究グループは「CANDy(キャンディ)」という日常会話によって認知機能を評価する方法(尺度)を開発しました。「CANDy」は日常会話によって認知症の人を知り、会話を増やすためのツールでもあります。本記事では佐藤氏の著書『認知症の人の心の中はどうなっているのか?』を基に認知症になると社会的認知が低下する背景について解説します。

コミュニケーションに欠かせない「社会的認知」とは

認知症になると、言語・非言語を含めてコミュニケーションにズレが生じますが、その根底には、注意や記憶、見当識、社会的認知などの低下があります。

たとえば、同じことを何度も言って周囲の人をイライラさせることがよくありますが、その根底にはまず、物事を記憶する力の低下があります。

「この件はさっき言った」という自分の行為を記憶していないために、何度も繰り返し同じことを言うのです。 さらに、情報処理能力が低下して、一度にたくさんの情報を処理できないために、あることが頭に浮かぶとそれだけを繰り返し考えるといったこともあります。

また、同時にあちこちに注意を向ける力も低下しているため、周囲の人に注意を向けてその様子を見ることも難しくなります。 見当識(時間、場所、人の認識)の低下も、会話のズレを生みます。

「お正月にはみんなが来るから」と言われても、今がお正月の前か後かわからないため、「そう……」と生返事をしたり、「お正月っていっても、門松とか、まあそんなものでね」などと取り繕いをしたりして、会話が続きません。

目の前にいる人が誰かわからなければ、何を話したらいいかわからないでしょうし、長年連れ添った配偶者に「どちら様ですか」などと言われれば、こちらが悲しくなって話す気力が失せてしまいます。

そして、社会的認知の低下が、会話のズレに拍車をかけます。社会的認知とは、非常に広い領域を含む概念ですが、ここでいう社会的認知は、相手の表情や言葉、身振りなどから心の中を推察し、その場に合った適切な行動をとる能力を指します。 会話をする際に私たちは、相手の言葉を聞き、その表面的な意味だけでなく裏にある意味も考え、相手の表情や声のトーン、仕草などと照らし合わせ、相手の本心がどこにあるのかを推察して、言葉を返します。暗黙の了解によって、相手も同様の過程を経て言葉を発していると思っています。

ところが認知症になると、社会的認知の低下によって、相手の心を推察することが難しくなります。まず比喩や皮肉、シャレ、含みのある言葉などが理解しにくくなり、言葉を表面上の意味だけで捉えるようになります。

たとえば、「犯人を泳がせる」と言うと、プールで泳がせることだと思ったりします。してほしくないことをされそうになって、断る意味で「いいわ」と言っても、声のトーンなどから相手の心を推察することができず、嫌がることをしてしまったりもします。 他者の表情を読むことも難しくなります。

ただし、表情によって読み取りにくくなる度合いには差があります。認知症になると、怒り、悲しみ、恐怖を読み取る力は顕著に低下しますが、嫌悪と驚きはさほどでもなく、喜びはほとんどの人が読み取ることができるのです。

認知症の人は、相手が怒っていたり、悲しんでいたり、恐怖を感じていたりしてもよくわからないものの、嫌悪を感じたり、驚いたり、喜んでいたりするのは、ほぼわかるということです。ということは、認知症の人の言動に対して、こちらが怒ったり悲しんだりしてもあまり伝わらず、嫌悪感をあらわにすると、それは読み取られてしまうということ。

「どうしてわかってくれないんだ」とか、「これほど心配しているのに」といった怒りや悲しみは伝わらず、「もうウンザリだ」といった嫌悪感はしっかり伝わってしまいます。 その結果、介護する人は「自分の気持ちをわかってもらえない」と感じ、認知症の人は「自分は嫌われている」と感じ、関係がギクシャクしてしまうのです。

社会的認知が低下すると、やがて他者には自分と異なる心のあることが、わからなくなっていきます。 私たちは、他者には他者の心があって、自分の心とは異なることを知っています。自分の思っていることと、ほかの人の思っていることは、同じではないということです。

「そんなことは当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、そうでもありません。他者には自分と異なる心があることを理解し、他者の心の動きを推察することを、心理学では「心の理論」と呼びますが、心の理論が発達するのは4〜5歳になってからで、それまでは自分の心と他者の心の区別がつかないのです。

また、自閉症など発達障害のある人や認知症の人も、心の理論がうまく働きません。

心の理論が働かないとは、具体的にどういうことかというと、以下のような課題を見るとわかりやすいかもしれません(「サリーとアン課題」を改変)。

男の子と女の子が、部屋の中でボール遊びをしています。しばらくして、男の子がボールを青い箱に入れてふたを閉め、部屋から出ていきました。すると、女の子がボールを青い箱から取り出し、赤い箱に入れてふたを閉めました。そのあとで部屋に戻った男の子は、ボールを取り出そうとして、どの箱を開けたでしょうか。

答えは「青」です。「青」と答えられるのは、「女の子がボールを赤い箱に移したことを知らないため、自分が入れた青い箱にボールがあると思っている」という男の子の心を推察することができるからです。

ところが、心の理論がうまく働かないと、自分と他者(男の子)の心の区別がつかず、自分が知っていること(ボールは赤い箱の中)を答えるのです。 現実の場面では、たとえば自分がしたくてしたことを、ほかの人がイヤだと思っているかもしれないと、推測することができません。

そのため、エレベーターを待って大勢の人が並んでいるところに、あとから来たのに順番を無視して先に乗り込み、ほかの人が嫌な顔をしても平気でいる、といったことが起こります。 このような行為を、社会的認知の低下が原因だと捉えるのはとても難しく、多くの場合「自分勝手な人だ」とか、「図々しい人だ」と思われてしまいます。

その結果、周囲の人たちとけんかになったり敬遠されたりして、誰も話し相手にならない、近寄っていくと避けられる、といった状況に陥ります。コミュニケーションがズレるどころか、成り立たなくなってしまうのです。

認知症の人は他者との関係をどう捉えているか

認知症の人が、明らかにおかしな行動をとれば、それが認知症のせいだとわかります。けれども実際には、どことなく変だけれど、なぜ変なのかよくわからない、といった行動をとることがしばしばあります。これは実際にあった、私の祖母の話です。 私が小学生だった頃のことです。

認知症だった祖母が、夜中に起き出し、みそ汁の残りが入っていた鍋を火にかけて、そのまま寝てしまったことがありました。鍋の焦げる臭いに母が気づき、危うく消し止めたため、大事に至らずに済みましたが、台所にはもうもうと煙が立ち込めています。 驚いた母は祖母を起こし、「なんでこんなことをしたの? 火事になったらどうするのよ、お鍋が真っ黒じゃないの!」と、叱責しました。

祖母は自分のしたことを覚えていないようで、キョトンとしていましたが、翌日出かけて迷子になりました。近所の荒物屋へ鍋を買いに行き、帰り道がわからなくなったのです。 鍋が黒焦げになって使えないから、新しい鍋を買いに行く。一見おかしなところはないようですが、母の気持ちを考えれば、祖母のとるべき行動は、鍋を買いに行くことではないはずです。


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「ごめんね。もうしないから」と、謝ることではないでしょうか。

しかし祖母は、母の「もう少し気づくのが遅かったら、どうなっていたことか」という恐怖や、キョトンとした様子の祖母に対する怒り、祖母の行動に責任を持たなければならないことへの重圧、実母の認知症が進んでいることへの悲しみ、将来への不安など、さまざまに交錯した感情を読むことができませんでした。

そして、「鍋が真っ黒」という言葉の表面だけを捉えて、新しい鍋を買いに行ったのです。

しかも、帰り道がわからず迷子になることで、母の心労をよけい増やしてしまいました。

祖母は、社会的認知の低下によって、母の気持ちを推察できず、適切な行動をとることができなかったのです。 ここまで読んだ方は、「ああ、お母さんは大変だったんだな」と、思ったのではないでしょうか。母は、本当に大変だったと思います。

しかし母は、認知症の祖母に怒りをぶつけることで、ただでさえ不安な祖母を、さらに不安にしてしまいました。 夜中に起こされたとき、おそらく祖母は、今が夜なのか朝なのかもわかっていなかったと思います。自分が鍋を火にかけたことも、覚えていません。祖母の立場に立てば、寝ているのにたたき起こされて、身に覚えのないことで責められるという、理不尽な目に遭っているのです。

それでも鍋を買いに行ったのは、日頃自分が娘の世話になっているという自覚があったからでしょう。「身に覚えはないけれど、娘が怒っているのだから、鍋を買いに行こう」と。そして鍋を買いに行き、迷子になって、祖母自身もさらに不安を募らせてしまいました。母もまた、祖母の気持ちを推察して適切な行動をとることが、できなかったのです。

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佐藤 眞一:大阪大学大学院人間科学研究科臨床死生学・老年行動学研究分野教授

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