メニュー

2020.09.24

「ランキング好きな日本人」が生き辛い根本理由|他人の評価に惑わされすぎていませんか?

東洋経済オンライン

ランキングに頼りすぎることによる弊害とは(写真:CORA/PIXTA)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/376234?utm_source=deschl&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

ランキングに頼りすぎることによる弊害とは(写真:CORA/PIXTA)

日本人は「ランキング」が好きな傾向にある。例えば、偏差値、人気企業、芸能人のランキングなど。つい、ランキングに流されて自分の進路を決めたり、重要な判断を下したという人もいるのではないだろうか。

「ランキングがあれば、自分の頭で考えて判断しなくて済むが、そうした指標が妥当かどうか、または自分にとって役に立っているかどうかはまったく別の話だ」と『自分の軸で生きる練習』著者のコーチング・カウンセラーの大仲千華さんはいう。本稿では、同氏が「他人の指標や意見に流れないための考え方」を紹介する。

ランキングに流されてしまう日本人

就活、婚活、妊活、終活……「○○活」という言葉を見るたび、どう英訳したらいいのかと悩みます。これらは日本にしかない特有の言葉だからです。「○○活」という言葉には、ある1つのモデルが存在していて、それこそが正解であるというニュアンスがあります。

この「唯一無二の理想がある」という考え方は、日本人のランキング好きにも関係しているように思います。例えば、偏差値、人気企業、芸能人のランキングなどです。

そんな話をしていたら、テレビ番組のプロデューサーをしている友人が、こんな話をしてくれたことがあります。芸能人が神戸牛とオージービーフの2つを目隠しして味わい、どちらが高級かを当てる日本のテレビ番組の話です。

そして、彼はこう言いました。「おそらくあの番組は、アメリカでは人気が出ないと思う。だって、美味しいかまずいか決めるのは自分だから。仮に安いほうを美味しいと思っても、別に誰も気にしないから」。

人間は社会的な生き物なので、アメリカ人だってそれぞれの社会階層のカルチャーに従うでしょうし、ある社会階層では高級肉の味がわかる能力は珍重されるでしょう。ただ、ランキングがある限り、1つの指標に従った上下関係が生まれます。つまり「勝者」と「敗者」が作られるのです。

私たちの社会がある一定の指標を前提とする限り、その構造は変わりません。ランキングがあれば、自分の頭で考えて判断しなくて済みますから、人間はある種の「秩序」というか、一見もっともらしい理由にすがって安心したいのかもしれません。しかしながら、そうした指標が妥当かどうか、または自分にとって役に立っているかどうかはまったく別の話なのです。

ある1つの評価軸を信じることの弊害

アメリカやヨーロッパにも有名大学のランキングが存在しますが、それ以外の評価軸や選択肢がもっと存在します。日本人はよく自信がないと言われますが、それにもこのたった1つの評価軸を信じ、自分の評価を委ねてきたことが関係していると思います。

なぜなら、ある1つのモデルを理想にしていると、いつも何かが「足りない」からです。ある理想像のもとでは、私たちは常に「減点評価」の対象になります。すると自分の能力や努力が足りないという強迫観念に急き立てられ、いつまでたっても満たされることがありません。

しかも、SNSが広く普及している現代は成功者の華やかな生活が目に入りやすく、作られた理想像と自分を比較して、自信をなくしたり、焦燥感に悩まされたりしやすい環境にあります。なにより、残念なことに、自分に与えられた才能や経験を誰もが過小評価してしまいます。社会の評価軸に合わないというだけで、自分の持っている資質を強みだと思えないのです。

1つの指標や理想像に価値を見出し続ける限り、その構造は続きます。そこから解放されるためには、他人がつくった指標や理想を追うのではなく、「自分にとっての指標」「自分はこれでいい」と思える「自分の軸」を持つことです。それこそ、「美味しいかまずいかは、自分で決めればよい」というスタンスは1つの方向性です。

そこまで極端な言い方をしなくても、ある物事に対してどう思うかは自分が決めればいいのです。

「自分の軸」を持つためにまず必要なことは、社会やメディア、学校や親から植え付けられた次のような「理想像」に、自分が無意識にとらわれていることに気づくことです。

例えばこういうものです。

・男性は「弱み」を見せてはいけない。

・女性は若くなければいけない。

・もっと痩せなければいけない。

・やるからには成功しなければいけない。

・いつもいい成績をとらなければいけない。

これらはほんの一例ですが、このような自分の中の植え付けられた「理想像」に気がつくことが改善のための大きな一歩です。たいてい、こうした信念は、自分の中で自動的にどんどん発生していて、無意識に影響していることすら気がつきません。ですから、自分の言動を振り返って考える必要があります。そしてとらわれた考え方に気づき、書き直していくことが大事なのです。

「いい人」をやめてみる

「『いい人』のままでは、誰にも君のことを覚えてもらえないよ」。これは、私がオックスフォード大学を修了後、国連のニューヨーク本部で働いていたときに当時の上司に言われた言葉です。ここでいう「いい人」とは、相手との対立を恐れて、自分の本当の思いを殺してしまう人のことです。

いい人は無難な意見ばかりを口にするけれど、そんなものは国連では何の役にも立たないし、誰の記憶にも残らない。彼にそう言われて私はかなりショックを受けましたが、「確かにその通りだ」とも思いました。大きな損もないように見えるけれどもその代わり得もしない、いわば「守りの姿勢」ではないかということでした。

なぜなら、「いい人」であることを演じることによって、自分の本当の意見や立場を表明する必要もないし、自分の意見がもしかしたら受け入れられなかったり、批判されるかもしれないという可能性を避けられる面があると思ったからです。

また、いい人でいることのもう1つの恐ろしい弊害は、いい人を演じ続けなければいけない義務感、そしてこうすれば人から評価されるという期待感に囚われてしまうことです。しかも、そんな人ほど実は心のなかで怒っているのです。

「自分はこんなに我慢しているのに」と思う一方で、相手からは期待するような反応や評価が返ってこないことに対して、常にイライラや不満をためているのです。自分の満足は「相手の反応次第」になってしまうからです。

当然ながら、他人の言動はコントロールできませんから、負のループは続いてしまいます。私が長年の海外生活を経て日本に帰国して驚いたのは、日本人の「受動攻撃性」の高さでした。

受動攻撃性とは、あからさまに怒りをぶつけて攻撃をするのではなく、無視、無関心、冷めてる、何も言わない、連続して遅刻やミスをするなどの無気力な態度で怒りや抗議を示すことを指します。

自分の意見を抑えることで自分を傷つけることも

私は日本人特有のこの性質を、満員電車の乗り降りのときに特に強く感じました。これも恐らく普段からいい人を演じていることからくる弊害なのだと思います。いい人は、自分の意見を持たない、もしくは自分の意見よりも他人の意見や価値観を優先させることによって、自分で自分を傷つけています。我慢し過ぎて自分の本当の気持ちややりたいことがわからなくなってしまいます。


『自分の軸で生きる練習』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトへジャンプします)

そのため、やる気を失い無気力に陥り、鬱を発症するケースさえあるのです。つまり、いい人でいることは、成功の妨げにもなるのです。

「いい人」になってしまう原因として、他人からの評価を気にしすぎることに一因があります。ですので、まずは他者評価ではなく、自己評価を重視しましょう。例えば、1カ月前や昨日の自分より成長できたかどうか、で判断してみてください。自己評価を積み上げていけば徐々に「いい人」を抜け出せるはずです。

私はオックスフォード大学大学院で学び、国連の行政官(社会統合支援担当)として、国連ニューヨーク本部PKO局、また南スーダンと東ティモールという二つの独立国の立ち上げ支援、和平合意の履行支援、元兵士の社会統合支援に従事しました。

そういった活動の中でも、最も求められているのは、形式的な言葉や流された意見よりも、「自分自身の体験や考え」であったのです。コロナ禍で、大量の情報があふれる中で、他人や世間からの情報に踊らされないためにも、大切な心得ではないでしょうか。

記事画像

大仲 千華:マインドセットコーチ・トレーナー、明治学院大学教員

【あわせて読みたい】 ※外部サイトに遷移します