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2020.09.10

仕事がつまらないと思う人は「見方」を知らない|自分を卑下しているとその通りになってしまう

東洋経済オンライン

つまらない仕事を劇的に「楽しく」する方法はあるか?(写真:metamorworks/iStock)

参照元:https://toyokeizai.net/articles/-/372046?utm_source=deschl&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=article

つまらない仕事を劇的に「楽しく」する方法はあるか?(写真:metamorworks/iStock)

仕事中や会議中に、ついほかのことに気を取られてしまう大きな原因の1つは、同じようなことの繰り返しから来る単調さや退屈さ、惰性感という「不快な感覚」にある。この「不快な感覚」から逃れるために、ほかのことに気を取られる。

こうした場合に有効な対処法は、仕事に対する見方を大きく変えることだ。ポイントは、既成概念を取り払って、仕事の中に「可変性」を見いだし、「遊び」の要素を取り入れていくことにある。「彼女が歩数計に依存して歩きまくった真の理由」(2020年8月27日配信)、「あれがやめられない」と悩む人を救う対処法(同9月4日配信)に続いて、『最強の集中力』から一部を抜粋・再編集してお届けする。

つまらない仕事を遊びに変えられたら?

イアン・ボゴストは、「遊び」について研究している。彼はジョージア工科大学のインタラクティブ・コンピューティングの教授で、最新の著書は、『どんなことでも遊びにする(Play Anything)』である。その本で彼は、楽しさや遊びについての常識に異を唱える大胆な主張をいくつか展開した。例えば、「遊び(fun)は、多くの(あるいは、いかなる)喜び(enjoyment)を含まなくても、遊びになりうる」と彼は言う。どういうことだろうか。

遊びは楽しく感じられるべきではないのか。そうとは限らない、とボゴストは言う。「遊びがどう感じられるべきかという既成概念を捨てることで、私たちは心を開き、仕事を新たな角度から見ることができるようになる。どれほど困難な仕事にも、遊びの要素はある。それらの遊びは楽しいものとは限らないが、私たちを不快な思いから解放してくれる」。ここで忘れてはならないのは、不快な気分からの逃避が注意散漫の重要な要素であることだ。

困難な状況では注意散漫に陥りやすい。しんどくて、集中力が必要で、それでもやらなければならない仕事を、遊びのようなものに変えられたら、どれほどありがたいことか。

テレビやソーシャルメディアなどの、営利目的の無数の「気を散らすもの」は、スロットマシンのような「可変報酬」を使って、私たちを新奇な刺激にさらし続ける。しかし、こちらも同じ方法を使って、どんな仕事もより楽しくより魅力的なものにできると、ボゴストは主張する。メディアに夢中になるのと同じ神経回路を活用すれば、楽しくない仕事にも、集中して取り組むことができる。

ボゴストは、その例として、芝刈りを挙げる。彼はそれを好きになるすべを学んだ。その方法は以下のとおりだ。

「まずその仕事に、途方もないほどの強い関心を向ける」

ボゴストの場合は、芝の生え方と手入れの仕方について、できる限り多くの情報を入手した。

次に、「仮想の遊び場」を設けた。そこでは制約が仕事の楽しさを生み出した。その土地の気象条件や、どのような準備が可能、あるいは不可能か、といった作業上の制約を彼は学んだ。制約の存在は、想像力を発揮して作業を楽しむために欠かせない、とボゴストは言う。芝刈り機の最適な刈り取り経路を見つけたり、スピードの向上を目指したりするのも、仮想の遊び場で遊ぶ方法の1つだ。

楽しさとは、何かの中に、ほかの人は気づいていない「可変性」を探すことであり、退屈と単調さを打ち破って、隠れた美を発見することである。

歴史上の偉大な思想家や発明家がさまざまな「発見」を成し遂げられたのは、発見の魅力に取りつかれていたからだ。誰にも、もっと知りたいという欲求があり、それによって謎解きや発見に引き寄せられる。

しかし、忘れてはならないのは、仕事に可変性を発見できるのは、時間をかけて仕事に集中し、懸命に謎を探した場合に限られることだ。それは、仕事を前回よりうまく、あるいは速くできるかどうかという自分の能力についてかもしれないし、来る日も来る日も未知のものに挑戦し続けることかもしれない。そのような仕事に内在する謎(ミステリー)の探求は、ほかのことに逃避したくなる困難な仕事を、私たちを夢中にさせる遊びに変えてくれる。

自分の性格についての見方を変える

私たちを注意散漫へと導く不快な感情をうまく扱うには、仕事への見方を変えるとともに、自分についての見方も変えなければならない。「性格」は「人あるいは動物の性質、とくに、行動に恒久的な影響を与えるもの」と定義され、自分の性格をどう捉えているかは、その人の行動に大きく影響する。

意志の力には限りがあるのでセルフコントロールには限界がある、という心理学説が一般に広く信じられている。これによると、私たちが全力を尽くそうとすると、ともすれば意志力を使い果たすことになる。心理学者はこの現象を「自我消耗」と表現する。だが、自我消耗は本当に起きるのだろうか。

2011年に、心理学者のロイ・バウマイスターがニューヨークタイムズ紙のジャーナリスト、ジョン・ティアニーと書いた本Willpower:Rediscovering the Greatest Human Strength(邦訳『WILLPOWER 意志力の科学』インターシフト)は、ベストセラーになった。同書は、自我消耗説を裏づけるバウマイスターの研究をいくつか紹介している。その1つで、注目に値するのは、ただ砂糖を摂取するだけで意志力が回復するという、摩訶不思議な実験だ。その実験では、被験者は砂糖を加えたレモネードを飲んだだけで、困難な仕事をこなすための自制心とスタミナを回復したそうだ。

しかし最近では、科学者たちは自我消耗説に批判的な目を向けるようになり、中にはこの説を否定する科学者もいる。マイアミ大学のエバン・カーターは、バウマイスターの研究結果を最初に疑った1人だ。カーターは2010年に、自我消耗は実際に起きると報告した約200件の論文を検証し、自我消耗説を裏づける確かな証拠はない、と結論づけた。

さらに、砂糖が意志力を高めるというような、自我消耗説の不可思議な主張のいくつかは、まったくのデタラメだったことが判明した。では、自我消耗と呼ばれた現象は、どう説明すればいいのだろうか。初期に行われた研究の結果は信用できるものだったかもしれないが、研究者たちは間違った結論に飛びついてしまったらしい。

スタンフォード大学の心理学者キャロル・ドウェックは、総合科学誌『米国科学アカデミー紀要』に掲載された共同研究において、自我消耗の兆候が認められたのは、意志力には限りがあると信じている被験者だけだった、と結論づけている。被験者の力を回復させたのは、レモネードの中の砂糖ではなく、砂糖の効果を信じる気持ちだったのだ。意志力には限界があると考えない人々には、自我消耗の兆候は見られなかった。

今でも多くの人が自我消耗という考えを支持しているのは、それを否定する証拠があることを知らないからだろう。だが、ドウェックの結論が正しければ、自我消耗説がまかり通っているのは由々しきことだ。というのも、人は実際にはまだ余力があるのに、自我消耗を言い訳にして何かを諦めてしまうかもしれないからだ。

トロント大学の心理学教授でトロント社会神経科学研究所の責任者であるマイケル・インズリクトは、別の考え方を提案する。それは、意志力を限りある資源ではなく、感情のようなものと見なす考え方だ。喜びや怒りを「使い果たす」ことがないのと同様に、意志力は、私たちに起きること、私たちが感じることに応じて、弱まったりあふれ出たりする、と彼は言う。

挫折したとき、自分をいたわれる人になる

最近行われたいくつかの研究から、意志力の捉え方と、最後までやり通す能力との間に、強い結びつきがあることがわかった。

ジャーナル・オブ・スタディーズ・オン・アルコール・アンド・ドラッグスに掲載された研究では、アルコール依存症の患者で、自分には渇望と戦う力がないと考える人は、そうでない人より、禁酒を試みても再び飲酒する可能性がはるかに高いことが示された。依存症患者の意志力の低さについての自覚の程度は、治療後に逆戻りするかどうかを判断するうえで、身体的な依存の程度と同じくらい重要である。

つまり、心の持ちようは、身体的依存と同じくらい重要なのだ。自分に向かって何を言うかが、治療の成否を分ける。自制心が弱いというレッテルを自分に貼ると、実際に自制心が弱くなる。したがって、挫折したときには、自分はダメな人間だと自己批判するのではなく、自分に思いやりをもって、優しく語りかけたほうがいい。

多くの研究が、自分への思いやり(セルフ・コンパッション)が強い人は幸福感が強いことを発見した。過去の79件の研究を比較分析した2015年の研究では、総勢1万6000人超の被験者の回答から、「失敗や自分の欠点に直面したとき、自分に対して……前向きで思いやりのある態度」をとる人は、より幸せなことが明らかになった。

別の研究からは、自分を責め、問題をいつまでも引きずる傾向は、うつや不安の原因として、一般的な要素より強く働くことがわかった。トラウマになる出来事、精神疾患の家族歴、社会的地位の低さ、社会的支援の欠如といった、人生を台無しにしがちな一般的な要素よりも、自分への思いやりの強弱のほうが、気分の落ち込みや不安感の有無に強く影響したのである。

失敗や挫折に罪悪感を抱くほど不幸になる

つまり、自分に語りかける言葉を換えれば、自分を思いやる力を活用できるようになるというわけだ。私たちには次から次へと悩みごとが降りかかってくる。そうしたときに肝心なのは、自分の行動に責任を持ちつつも、罪悪感を過剰に抱かないことだ。罪悪感を抱くと、それから逃れようとしてさらなる注意散漫に陥りかねない。


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自分を思いやり、失敗とストレスの悪循環を断ち切れば、回復力を高めることができる。自分を非難する頭の中の小さな声に耳を傾けていることに気づいたら、正しく対応しなければならない。その声を真に受けたり、反論したりするのではなく、成長の途上には必ず障害があることを思い出そう。練習せずに上達することはできず、練習には時として困難が伴う。

自分には意志力と自制心が足りないと信じ込んでいると、そのとおりになる。自分には誘惑に抵抗する力がない、生まれつき欠陥があると自分に言っていると、実際にそうなってしまう。ありがたいことに、自分が考えるすべてのことを信じる必要はない。人が無力になるのは、自分は無力だと思ったときだけだ。

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ニール・イヤール:作家、ビジネスコンサルタント

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