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2020.09.05

それでもどうして、人間はペットを飼ってしまうのか│カレー沢薫 Vol.1

漫画家・コラムニスト:カレー沢薫

漫画家・コラムニストとして多数の連載を抱えるカレー沢薫さん。異色の猫漫画『クレムリン』でデビューし、近著では生き物を飼うことを描いた『きみにかわれるまえに』(2020年)が感涙必至の一作と反響続々。
今回は、「人が生き物と暮らすということ」をテーマにコラムを書いていただきました。4回連載でお届けします。

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今回から、コラムを4回ほど掲載させていただくことになった。
テーマは「動物と人間の関係」であり「健康に直結しなくてもいい」と言われている。
それでいいのか、読者は怒らないか。

動物と人間の関係、と言っても基本的に人間が勝手にお動物様に関わっているだけである。

お動物様の方が人間に寄ってくるときと言えば、大体飯が欲しいか、もしくは人間そのものが飯の時だけである。

だが人間も霧や霞や屁でも食っていれば良いのに、生意気なことに飯を食わなければ死んでしまう。
やむなく食肉としてお動物様をいただくこともあり、さらに大人になっても母乳を飲むのが習慣という変態も多いため、牛さんには特にお世話になっている。

また人間は生物の中でもかなり頭が悪い方なので「服を着ないで外に出るのは罪」という、他のお動物様からすると全く意味不明なルールを自ら作ってしまったため、服と言う名の拘束具を作るため、羊さんの毛などを拝借することもある。

このように、人間というのは太陽と水と空気さえあれば生きられるミドリムシさんなどに比べて、非常に多くの物を必要とするコスパ最悪アマゾンレビュー☆0.5の生物なのだ。

よって大変ご迷惑だと思うが、生きるために他のお動物様に関わらせていただいている、というのが現状だ。

しかし「ペット」というのはどうだろうか。
これこそ徹頭徹尾人間の自己満足である。勝手にお動物様を家に持ち帰り、勝手にお食事を与え、勝手に可愛さのあまり感極まり、写真をSNSにアップし、勝手にその死を悲しみしばらく体調を崩したりするのである。

お動物様からすると、情緒不安定な巨大な生暖かい棒が生涯自分の周りをウロウロしているという大変気味が悪い状態だ。

精神が定まらない棒にストーキングされるだけならまだマシだが、勝手に家に連れ帰り、勝手に飼えないからと手放されたお動物様が殺処分の憂き目にあうということも、残念ながら現実に起こっている。

そういったお動物様を保護する活動も盛んになってきているが、そもそも人間のせいで保護しなければいけないお動物様が発生している場合もあるのだ。

つまり、人間というのは自分で火をつけた家の消火活動に躍起になっているような不可解な生き物であり、それに巻き込まれるお動物様は不幸としか言いようがない。

しかし、人間にペットとして飼われたお動物様たちが、不幸というわけでもない。
人間に飼われることにより、冷暖房が完備された清潔な環境、栄養価の高い食事、生涯耳元で「可愛い」と連呼され続けることもできるのだ。

最後が幸せかは意見が分かれるところだが、実際、野生で生きる動物と人に飼われる動物とでは寿命が格段に違う。
人間に関わることにより、幸せになるお動物様もいるのだ。

そう言いたいところだが、それも人間の勝手な解釈である。
「長生きが良い」というのも人間の価値観でしかない、もしかしたらお動物様の間では「寿命の半分で死ぬのがアツい」というのが常識で「二十歳越えなんてダサくて死にそう」かもしれないのだ。

お動物様は利口なので「言葉」などという、いらぬ諍いを起こす諸悪の根源は持たないため、言葉でしか相手の気持ちを正確に知ることができない下等生物人間にはお動物様の真のお心を知ることは一生できない。

だからと言ってお動物様に「ママ(飼い主)と出会えて幸せだったワン」みたいなふきだしを勝手につけるのはいかがなものだろうか。

自分に飼われたペットが幸せだったかどうかというのは、飼う人間には一生わからぬことなのである。
逆に言えば「どうやっても何か悔いが残る」というのが動物を飼うということだ。

例え大往生で看取ったとしても、お動物様は人間が今後悔いなく暮らせるよう「幸せだったニャン」みたいな言葉を残してくれることはない。

よってペットを飼ったら、分からないなりにない知恵を絞って「俺が考える最強のお世話」をしていくしかないし、お別れ後も「これで良かったのか」という自問と「良かったのだ」という言い聞かせを続けていくことになる。
だが時には「良かったのだ」と己を納得させることすらできない最期を迎えてしまう時もある。

自分も子どものころ飼ったおキャット様とそういう別れ方をしてしまい、未だに夢に見て起きたら泣いていることがあるし、猫に対する情緒が狂ってしまい、さらにそれが年々悪化し、最近は飼うどころか、生身のおキャット様にはあまり近づけなくなってしまった。

ペットを飼うことで、人間は豊かな時間を持てるのは確かだ。
しかし動物側もそうかは一生わからない。
そして人間も場合によっては、勝手に動物を飼って、勝手に心にデカい傷を負い、死ぬまでその傷が健康なおドッグ様の鼻ように濡れている、ということもあるのだ。

ちなみにこの一生ものの大ダメージは「動物を飼わない」ことでほぼ100%回避することができる。
それにもかかわらず、何故人間は動物を飼ってしまうのか。

人間が自ら窓ガラスに激突し続ける蝉と同じ習性を持っているというのもある。

だが動物を飼うことで起こる問題や哀しみを全て理解した上で、それでも人間は動物と共に過ごそうとするのだ。

カレー沢薫

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漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』漫画家デビュー。多数のコラム・連載を抱えており、過去のエッセイ作品に『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』『ブスの本懐』などがある。近著は『ひとりでしにたい』(2020年)『きみにかわれるまえに』(2020年)など。

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