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2020.08.09

いいリーダーの素質とは。指導者としての若手への接し方【瀬古利彦の今だから言える話Vol.2】

瀬古利彦

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皆さん、こんにちは。瀬古利彦です。

私はかつてマラソンランナーとして3度、オリンピックの代表になりました。その後は指導者を経て、現在は日本陸上競技連盟のマラソン強化・戦略プロジェクトリーダーとして、来たる東京五輪で日本勢が活躍できるよう仕事をしています。

人生のほとんどを捧げてきたマラソンから私が学んだこと、経験から得たことをここではお伝えしたいと思います。

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あの失敗があったから、私は人に優しくなれた

現役生活を通じ、オリンピックは3回代表になって、出場2回。優勝はおろか、入賞もできませんでした。現役生活に悔いはないですが、オリンピックだけは悔しく思っています。

ただロサンゼルス五輪の前にプレッシャーで苦しんだことは何物にも代え難い経験でした。それによって私は以前より人に優しくなれたと思うからです。

Vol.1でお伝えしました通り、厳しい練習と周囲からのプレッシャーで苦しみながら、誰にも相談できず、心身の状態が万全でない中でオリンピックに挑みました。
あの苦しさはもう誰にも味わってほしくない。ですから今も若い選手を見るといつも「悩んでいないかな」と気になり、私で良ければ話を聞いてあげたいと思って、声をかけています。彼らがなるべくストレスなく競技ができるよう、自分なりに努めているのは、現役時代の苦しさがあったからです。

ただ、指導者となってからはその優しさがマイナスに働く場面もありました。

監督時代、チームの選手から休みを求められたり、私の考えた練習とは違う練習をしたいと言われたりすると「それならば自分の思う通り、やってみるといい」と思ってしまったのです。「大丈夫かな」と疑問に思う場面があっても、選手にノーとはなかなか言えませんでした。
自分の経験や考えだけを押し付けるのは良くないとは思いますが、あまり選手の考えばかりを尊重しては、私が学んできたことや経験が生きなくなってしまいます。頭では分かっているのですが、なかなか実践できませんでした。

結果として、オリンピックに出場し私の自己記録を越える選手を育てましたが、私自身はあまり指導者には向いていなかったかなと思います。

いいリーダーは、先頭に立ち、部下を不安にさせない

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では良い指導者とはどんな条件を備えた人でしょうか?私は24時間、選手のために捧げられる人だと考えています。

マラソンの世界で成功する選手は監督とマンツーマンの関係を築くケースがあります。私と中村先生もそうでしたし、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子さんと監督だった故小出義雄さんもそれに近かった。小出さんはまさに24時間を選手のために尽くしていて、名指導者だったと思います。

選手は監督やコーチの姿を常に見ています。遊んでばかりいたり、興味が選手以外のところを向いている指導者の言うことを聞くはずがありません。ですから指導者は自分に厳しく、手本を見せるつもりで選手以上に競技に打ち込むべきです。

ただ選手のタイプも様々。私の経験上、素直に人の意見を聞き、何でもチャレンジする選手は伸びると思いますが、中には自分の感覚を信じ、徹底的に自己流を貫く選手もいます。
結果が出ている限りはそのやり方を容認すべきでしょう。ただ何をしているのかを見ておくなど、選手がアドバイスを求めてきたときに応えられる準備と関係づくりはしておくべきです。

これまでチームの指導者や日本陸連の役職などを務めてきました。その経験から、リーダーになるべき人はついてきてくれる選手や部下を不安にさせないことが最も大切だと思っています。

そのためにはポジティブに振る舞い、大きなビジョンを示すこと。引っ張る立場の者が自信なさそうな態度では、周りも不安になってしまいます。先頭に立ち、そして何かあったら責任をとる。私自身、どこまでできているかは分かりませんが、そうしたリーダーを目指し、若い世代が思い切ってチャレンジできる環境を作りたいと日々、考えています。

私たちも、若者から学ぶことがたくさんある

今は日本陸上競技連盟のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーという立場になりましたが、指導者時代とは違い、選手とは少し距離を置きながら、男女問わず若い世代が東京五輪で活躍できるようにサポートをしています。

彼らを見ていると、今の選手は私が同じくらいの年頃だったときと比べて優れている点がたくさんあります。特に指導者や年上の先輩に対し、礼儀を持って接しながらも、結果的にうまく操っている点はすごいなと思います。
私たちの世代は指導者や年上は絶対的な存在でした。しかし今の選手たちにとってはそうではないし、そうなってはいけないと思いますので、いい傾向でしょう。

こんなことがありました。東京五輪のマラソンコースが東京から札幌に変更になった時、代表選手に決まっていた服部勇馬選手に「悔しいだろうけれど、気持ちを切り替えて頑張ろう」と声をかけたところ、「私たちは瀬古さんのモスクワ五輪のようにボイコットになったわけではありません。オリンピックを走れるのですから幸せです」と応えたのです。こういわれれば私も悪い気はしませんし、もっと応援しようと思うものです。さすがだなと思いました。

私にとって、こちらから声をかけるのは若い選手への接し方の基本です。一方的に何かを教えることもありませんが、私もいろいろと経験してきたよという話はします。それは今の選手たちは私の現役時代を知らないからです。

ありがたいことに今は男女を問わず、多くの選手が声をかけてくれるようになりました。若い人と話をするのは私自身も純粋に楽しいですし、彼らの話から学ぶことがありますので、今後も続けていくつもりです。

瀬古 利彦(せこ・としひこ)さん

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1956年7月15日生まれ、三重県出身。
四日市工業高校時代は中長距離の全国トップ選手として活躍。早稲田大学入学後は1年時からマラソンに取り組み、1980年代、世界屈指の長距離ランナーとしての地位を築く。海外のマラソンでもロンドン、シカゴで各1回、ボストンで2回優勝と勝負強さを見せた。オリンピックのマラソン代表には日本がボイコットした1980年モスクワ、84年ロサンゼルス(14位)、88年ソウル(9位)と3大会連続で選出。マラソンの通算成績は15戦10勝。現役引退後は指導者となり、1990年には母校早大を箱根駅伝総合優勝に導く。現在は横浜DeNAランニングクラブエグゼクティブアドバイザーを務める一方、2016年から日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーとして活動している。

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