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2019.04.29

「実家の親」を苦痛でしんどく感じる本当の理由|ポジティブな関わり方ができない人たちへ

東洋経済オンライン

実家の両親との苦しい関係を抜け出せない理由はどこにあるのでしょうか。写真はイメージ(写真:Fast&Slow/PIXTA)

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実家の両親との苦しい関係を抜け出せない理由はどこにあるのでしょうか。写真はイメージ(写真:Fast&Slow/PIXTA)

この記事を読まれている方の中には、現在実家に帰省している、もしくは、これから帰るという方がいることでしょう。里帰りが楽しいものであればいいのですが、「やっぱり、帰らなければよかった」という後悔や、そもそも「実家になんて絶対帰らない」という思いを抱えている方も一定数いるのではないでしょうか。

なぜ、実家で過ごすことが苦痛なのか。最大の理由は「親の存在」です。

筆者は心理カウンセラーとして、親との関係で「つらい」「苦しい」「やりきれない」「腹が立つ」「憎い」といったネガティブな感情を抱える人を数多く見てきました。そのような思いがあれば、親に会いたくないのは当然と言えるでしょう。

そもそも、親の存在を苦痛に感じてしまうのはなぜでしょうか。その原因は親・子、そして家族のコミュニケーションのとり方・言動パターンにあると感じています。拙著『「苦しい親子関係」から抜け出す方法』をもとに具体的にご紹介します。

コミュニケーションではなく「傷つけ合い」

私たちは、他者を見るとき、ついほかの人も自分と同じことを考え、同じ捉え方をし、自分が予測しているような行動をとるものだと思い込んでいます。けれども、他人はもちろん、家族の中にあっても、何を是としてきたかは、世代によって異なります。そこで生じるのが、世代間のギャップです。

にもかかわらず、こうした世代間のギャップを考慮せず、自分の視点から「自分は正しい」と思い込む親がいます。自分が育った社会環境と家庭環境を基準にすれば、確かに自分が正しいのでしょう。自分の基準は、自分が身につけ体験してきたことがですから、親の目には、子どもが間違っているように映ります。

その最も悪しきパターンが「子は親に従うべき」という意識構造ではないでしょうか。親がそのような考えのもとで育っていれば、同じことを子に要求したくなります。

「子どもが間違っている」ように見えれば、なおさら自分に従わせたくなるでしょう。子どもは子どもで、自分の視点から「自分が正しい」と思い込んでいます。親の時代とは違った社会環境で育った子どもの目からすれば、親の主張のほうが間違っているように見えるからです。ここで互いに自分の主張を通そうとすれば、争いが起こるのは目に見えています。

ただし、この争いはコミュニケーションと呼べるものではありません。お互いに「相手が間違っている」とかたくなに思うことによる「傷つけ合い」です。

幼い頃、子どもは自分の親が、誰よりも立派だと信じていました。自分よりも聡明だと信じ、親の言うことは、すべて正しいと思っていました。とても立派で偉大な人物に見えていました。ところが、子どもが成長して物事を判断する目が育つと、次第に幻想の皮が剥がれていき、親の実体を知るところとなります。

それにもかかわらず、親は相変わらず、親の権威を振りかざそうとするため、摩擦が起こります。支配的な親ほど、なおも従わせようとするでしょう。

その一方で親は、自分の方法がまったく子どもに通用しなくなったことに愕然とします。これまでの自分の地位を確保できないことに不安を覚え、反抗的な素振りを見せる子どもに苛立ちを覚えます。そのような親は、子にとって、すでに「わかり合えない」関係になっているのかもしれません。

ただし、親子の問題は、本当は、2人だけの問題というわけではなく、家族全体の問題でもあります。そしてその大元は、夫婦関係です。夫婦が夫婦として「わかり合えない関係」なら、親子関係もわかり合えない関係となりやすいでしょう。

夫婦がわかり合えない関係であれば、親の関心はより子どもに向かいやすくなるでしょう。夫(妻)はダメでも、子どもであれば制御しやすくなります。母親の場合、子どもが息子か娘かで微妙に異なりますが、娘のほうが同性であるという点で、通じやすさや自分の延長線上にあるような気がすることから密着度が高くなりやすいでしょう。もちろんそれは共依存的にという意味においてです。

伝え合うコミュニケーションができない

そのような家庭では、感情的になって主張し合ったり、相手をまったく無視して会話すらしなくなったりというように、父親も母親も、健全でポジティブな関わり方やコミュニケーションの方法をとることができません。

なぜならそのような会話は、彼ら自身、したことがないからです。彼らは、相手のことを互いに「察し合う」コミュニケーション能力はあっても、言語で「伝え合う」コミュニケーション能力が乏しいのです。

互いに自分を強く主張して相手を論破するようなディベート的な会話を、コミュニケーションだと思い込んでいる人たちも少なくありません。異様に弁が立つ人、押しが強い人、人に話をさせないで一方的にまくし立てる人、相手に話す隙を与えない人、高圧的な物言いの人、いずれも、コミュニケーション能力が乏しい人たちの特徴です。それは「親しくし合う」「愛し合う」体験が乏しい人たちとも言えるでしょう。

ところが、かつてはそのような人たちのほうが、頼もしいという評価を受けたり、強いと持ち上げられたりしてきました。家庭の中にあっては、「心が通じ合わない」人だったのですが、昔はそれが偉い、強い、立派というふうに評価されていたのです。少なくとも彼らの親たちはそうだったでしょう。娘、息子にとっては祖父母にあたる人たちです。

彼らはそんな親たちのやり方から抜け出すことができないでいるのかもしれません。しかし、昔はそれが通用したとしても、そんな時代錯誤的な方法で、自分の子どもたちの尊敬を得ることはできません。

「せめてわが子だけは自由に」のワナ

そのようにして親に染みついた言動パターンは、さまざまな形で表出します。しかも、一見、そうとわからない形でです。代表的なものが、「私の望みを、あなたが叶えてね」というもの。多くの親が「わが子だけには、私のような苦労をさせたくない」と思っています。


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せめて子どもだけは「自由に生きてほしい。生き生きと輝いた人生を送ってほしい。自分の好きなことをやってほしい」などと願います。言葉だけ見ると、とても子どもを大事にしているように思えます。

しかし実際には、その「願い」そのものが子どもの心の自由を奪っています。「私は我慢してばかりいたから、子どもには思いどおりの人生を生きてほしい」「学校で成績が悪くて引け目を感じていたから、子どもには優秀でいてほしい」「出身校に劣等感を抱いていたから、わが子には、そんな思いをしてほしくない」といった、自分が果たしえなかった理想を、子どもに押しつけて、「私の望みを、あなたが叶えてね」と言っているのです。

その目的がどんなに立派でも、子どもに選択の余地を与えないのは、子どもの自由の侵害です。しかも子ども自身がそれに気づかなければ、親の期待にこたえられない自分を、不孝者のように感じるでしょう。親の思いに反して、自分の意志を大事にしようとすると、親を裏切るような気持ちに襲われるでしょう。子どもが自分らしく生きようとすることは至極真っ当なことなのに、まるで悪いことをしているかのように罪悪感を覚えて自分を責めるのです。

とくに母娘の問題で言うと、母親がそうやって子どもに自分の願いや理想を押しつけようとするのは、母親自身が諸々の制約で自分の心を縛っているからです。母親がどんなに、「子どもには苦労させたくない。自分の理想どおりの子どもになってほしい。自分の好きなことをしてほしい」と願ったとしても、やっていることは、「自分の心を縛る」方法を教えているにすぎません。しかし、それは、親自身もまた長年「従う」ことを行ってきたからでもあります。

このように親子関係というのは、社会的な環境と密接に根づいたものがあります。ゆえに、非常に根深いものではありますが、こうした全体像を知ることは、実は「親だけが悪いわけではない」という親への理解にもつながっていくことを、ぜひ知っていただきたいと思います。

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石原 加受子:心理カウンセラー

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